うとするあたり、あの辺は何と言ったけな。青柳町ではなし――。」
「青柳町は下で、甲子神社《きのえねじんじゃ》のあるところじゃ。」
「すると、あそこは――。」
「――――」
「――――」
「青、――。」
「青物町!」
「八百屋町!」
「そうそう、八百屋町、八百屋町。ずいぶん変ったろうな、あのへんも。」
「久しく行かんからな。」
「久しく行かんからな。」
「お! 甲子神社と言えば、貴公、おぼえているか。」
「何を。」
「あそこのそら、そら、あの娘――。」
「娘?」
「うん。顔の丸い、眼の細い、よく泣きおった――。」
「お留か。」
「おう! それそれ、お留坊、神官の娘でな。」
「大きゅうなったろうなあ。」
「嫁に行って子まであるそうじゃ。」
「え! もうそんな年齢《とし》か。」
「そりゃそうだろう、あのころ稚児髷だったからなあ――はっはっは。」
「何じゃ、不意に笑い出して。」
「はっはっはっは、いや、思い出したぞ。いつかそらあそこの庭に柿の木があって――。」
「うんうん、あった、あった! 大きな実が成ったな。よく貴公と盗りに行ったではないか。」
「いつか貴公が、ははははは、木から落ちて、ははははは。」
「そうそう、ははは、泣いたな、あの時は。」
「泣いた泣いた。それで俺が、武士《さむらい》の子は痛くとも泣くものではないと言うたら、貴公、何と答えたか、これは記憶《おぼ》えていまいな。」
「なんと答えた?」
「痛うて泣くんではない。せっかく※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]《も》いだ柿を潰してしまうが惜しいというて、また泣いた。はっはっはっは。」
「そんなことを言うたか。いや、これは! はっはっは。してみると、そのころから強情だったとみえるな。」
「三つ児のたましい――。」
「百までもか、はははは。」
「はははは、御同様じゃ。」
口をつぐんで、しばらく道を拾った。
「しかし、あの時、貴公の泣声に驚いて飛び出して来たお留が、また柿をとったあ、と言うて泣きだしたが――。」
「あれには驚いたな。」
「あのころが眼に見えるようだ。」
「まるで昨日――。」
「早いものじゃな。」
「うん。」
幼馴染み、はなしは尽きない。が、高輪筋へはいって約束の場所が近づくにつれ、二人ともみょうに重苦しくなって黙りこんだ。
どっちかが一言いい出しさえすれば、それでことなくすんで、雨の夜
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