成鎬の問いを笑いに紛らして)ははははは、君たちはこの、火のないストウブを囲んでどうしようというんだ。
青年G (壁にもたれて、懐疑的に)火のないストウブか。ほんとだ。火のないストウブに当って、いくらか煖かいつもりでいる。気力のない同胞を激励してどうにかなる気でいる。運動の将来も楽じゃないなあ。
同志一 (ストウブの覆《ふた》をあけて黄成鎬へ)おやじ! 火を入れろ。
同志二 石炭はどこにある。
黄成鎬 (独語)火のねえストウブに当って煖《あった》けえ気でいる。(手真似で考える)こいつあうめえことを言った。大きにそんなものかも知れねえ。
同志二 (黄成鎬へ)何を感心しているんだ。夜が更けて来たら急に寒くなった。ストウブを焚くんだ。石炭奢《おご》れよ。
黄成鎬 火はありませんよ。石炭もありませんよ。火種もなし石炭もなしで火を燃やすのが、あんた方の仕事だ。
青年H はっはっは、あんなことを言う。
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青年Eは倒れていた腰掛けを起して馬乗りになっている。
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青年E しかし、さっきの話ですがねえ、僕あ伊藤がハルビンへやって来る真の目的は、鉄道買収などとそんなちっぽけなことではあるまいと思うんだ――。
禹徳淳 何の話だ。例の一件かい。
同志一 (青年Eへ)無論さ。韓国の問題を解決するために、ロシアと清国の諒解を求める必要があるんだ。だから、ハルビンでココフツォフと会見した上で、場合によっては北京を訪問する意思らしいぞ。
青年I (一隅から)おい、昨日のジャパン・タイムス見たか。社説に出てるぞ。日本とロシアが満洲を分割するんだそうだ。それで、満洲へ来ることが決ってから、伊藤は桂首相と頻繁《ひんぱん》に往来しているし、日本皇帝にもたびたび拝謁している。そして、連日長時間にわたる閣議が開かれているというんだ。
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この以前より禹徳淳は、電燈を覆っている赤い紙片を※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]り取って、青年たちの騒然たる会話の中で、声高に読み上げている。
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禹徳淳 何だ、こりゃあ――うむ、こないだ配った歌だな。おい、君らみんな知ってるだろう。よし、一緒にやろう。読むぞ。(慷慨の調にて大声に)
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敵の汝に逢わんとて
水陸幾万里
千辛万苦を尽しつつ
輪船火車を乗り代えて
露清両地を過ぐるとき
行装のたびごとに
天道様に祈りをなし
イエス氏にも敬拝すらく
平常一度び逢うことの何ぞ遅きや
心し給え心し給え
東半島大韓帝国に心したまえ
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一同はじっと聴き入っている。
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7
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時間的に遡《さかのぼ》って、この場の前半は前場と同時刻を繰り返す。
黄成鎬方台所。前の場の左側につづく部屋。舞台正面、下手寄りに廊下へ開くドア。右側に前場の集会所に通ずる扉あり。固く締まっている。反対側に裏口。窓はない。
片隅に土の竈《かまど》、流し場、水桶ありて、鍋、釜、野菜の籠など土間に置いてある。壁にはフライ・パンなどかかり、棚に茶碗、皿小鉢類。他の隅に薪を積み、中央に低い粗雑な卓子と椅子二脚。暗い電燈。
黄瑞露――黄成鎬妻、五十歳ぐらい。ほかに安重根、柳麗玉、禹徳淳、朴鳳錫、白基竜、黄成鎬、同志一、二および前場の青年多勢と露国憲兵数名。近所の人々。
前場の初めと同じ時刻。壁を通して隣室の青年らの話し声が間断なく聞えている。李剛と別れたままの朝鮮服の安重根が、隣室を気にしながら神経質に、足早に歩き廻っている。テエブルの上に古行李が置いてある。安重根は細目に正面下手の扉をあけて廊下の様子を窺ったのち、卓子へ帰り、焦慮に駆られる態にて行李を開けようとし、逡巡する。椅子の一つに柳麗玉が腰かけて、尊敬と愛着の眼で見守っている。
長い間。隣室の話声が高まる。廊下の戸があいて、寝台代りの藁蒲団と毛布を担いだ黄瑞露が顔を出す。
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黄瑞露 柳さん、ちょっと手を貸して下さいよ。これ――。
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安重根は病的に愕く。
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黄瑞露 (びっくりして)何ですよ。何をあわててるんです。
安重根 ああ、びっくりした。考えごとをしているところへ不意に開けるもんだから――ああ驚いた。何です。
黄瑞露 ははははは、お前さんどうかしているよ。こっちこそびっくりするじゃないか、ねえ柳さん。床をとって上げようと思って――。
柳麗玉 あら、もうお寝《やす》みになったんだろうと思っていましたわ。
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