ら来てここへはいるのを見ましたがねえ」
「お人違いでござんしょう」
 突っ放すようにいい切ると、文次の顔にちら[#「ちら」に傍点]と険が動いた。
 これは油断がならない。女はいっそうやわらかに出る。
「ほんとに困ってしまうんですよ。病身でしてねえ。はあ、この一月ってものは、まるで脚腰《あしこし》が立たないんでござんす。ま、お掛けなすって、お茶でも一つ――」
「いや、もうおかまいなく」
 文次もすまして上がり框《がまち》に腰をおろし、ちら、ちらと女を見ると、女は物思わしげにうつむいて、火鉢の灰をかきならしている。貧乏世帯を苦にせず病夫にかしずいている世話場の呼吸《いき》だ。おくれ毛が二、三本、艶に悩ましい気色である。
 たそがれ刻《どき》の裏町。
 鉄瓶《てつびん》が松風の音を立てている。こっとりとした静寂《しずかさ》だ。
「あのう、何ですかえ」と文次。「師匠はお眠《やす》みですかえ」
「はあ、よく寝ておりますから失礼させていただきます」
 あとは二人、またしてもばつ[#「ばつ」に傍点]の悪い無言の行。いつ果つべしとも見えない。と、つと文次がたち上がった。
「一つ上がってお見舞い申しまし
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