ずみにもせよ、浮世小路の親分として人に知られた文次の懐中物を抜くんだから、この里好宗匠、よほどの腕ききとみえる。
 ことにあの小判、あれはこのさい、文次にとっては何者にも代えがたい手がかりだ――と思うと、文次も笑っている場合ではない。すっ[#「すっ」に傍点]とお神のそばへ寄って行って、
「おう、出入口はあの一つか」
 と、急に変わったこの番頭ふうの男の調子に、おかみは眼をまるくしてどぎまぎ[#「どぎまぎ」に傍点]していた。
 家の中では里好と女がてんてこまい[#「てんてこまい」に傍点]を演じている。
 今朝がたあんなにめかして出て行った里好が、いま駈け込んで来たのを見ると、なんのためにどこで着かえたものか、松坂木綿《まつざかもめん》のよれよれ[#「よれよれ」に傍点]になったやつへ煮しめたような豆しぼりというやくざ[#「やくざ」に傍点]な風体《なり》をしているのだから、女が面くらったのもあたりまえで、立て膝のまま、
「あ! お前さん!」
 ぽかんとして見あげる顔の上へ、里好は大あわてにあわてて、手早く脱ぎ捨てた長袢纒をふわりと掛けてしまった。
「あれさ。何をするの」
 女は着物の下でもが
前へ 次へ
全240ページ中138ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング