を踏んでいるとみえて、なかなか堂に入っている。
「さ、性根をすえて返答してもらいたい。そもそも何の恨みがあって、女の死骸を鎧櫃へ詰めて届けたのだ? いやさ。それを聞こう。それを聞こう」
「しかし、饗庭様では鎧櫃を受け取らぬときっぱりおおせられましたが――」
「それは、拙者が出て応対したことゆえ、本人の拙者がこうしてここへ正式に談じに参るまでは表向き受け取らぬということにしておいたのだ」
受け取ったのは影屋敷なのに、なんとうまい嘘をついている――文次は感心した。それに女の死骸とは!
蛇ににらまれた蛙同様、閑山はぐう[#「ぐう」に傍点]の音も立てずにすくんでいるらしい。それとも相手が猫だから、まず鼠《ねずみ》というところかもしれない。悪党らしくもないようだが、何とかして金を出さずにこの場をすませたいというのだから、閑山の苦しがるのもむりもないわけで、かげで一伍一什《いちぶしじゅう》をきいている文次には、当初《はじめ》からのいきさつが掌《てのひら》を指すようにわかってしまった。
鎧櫃の底で、あの眼じるしのある小判をみつけたとき、すでに文次は櫃の中には女が隠れていたことをみぬいたのだ。
小判には桝目《ますめ》の印が打ってある。
江戸中の岡っ引きがいま地をかぎまわって捜しているのが、この桝目の小判で五百両と、それを持ち歩く女とであってみれば、その一枚の小判からすぐと女を頭へ浮かべたのは、この場合、文次でなくても誰でも見通しのきくところであろうが、女はただ女とだけでぼんやりした人相書き以外は、どこの何者とも知れていなかったのを、途中で掏摸にあったばかりに、三味線堀|手枕舎里好《たまくらやりこう》の家で残余《のこり》の小判を呑んでいる女を突きとめることができたとは、人間万事|塞翁《さいおう》が馬、何からいい蔓《つる》をたぐり当てるか知れたものでない。
いわばこれ、今日という日はいろは屋文次の大吉日だったが――。
お蔦――はもう網の中の魚である。
いつでもとれると思ったので、即座に手を下さずに来たのだが、一つには里好もともども器用に挙げてしまいたかったからで、また、踏み込む前に、念には念を入れてお蔦という女をもう少し洗ってみたい文次一人の心持ちもあった。半当てずっぽうにしょっぴいて来て「さあ、申し上げろ。申し上げねえか」と番屋の薄縁へこすりつけるのは、文次の手口ではなかった。
だからいろは屋文次はめったにお縄《なわ》をしごかなかった。が、一度しごけば、それは必ず大きな捕親《とりおや》として動きのないところであった。
お蔦は俺の掌《て》の内だ。明日にでも御用にしよう――。
文次はにっ[#「にっ」に傍点]として、聞き耳を立てた。
津賀閑山が何かじめじめ[#「じめじめ」に傍点]いい出したからである。
「全く識らない女でございますよ。はい、お手先らしい男に追われて店へ飛び込んで来ると、突然《いきなり》、あの鎧櫃を買って自身ではいりましたんで、まことに藪《やぶ》から棒《ぼう》のようなお話ですが、真実真銘、この白髪頭《しらがあたま》に免じて――」
手先らしい男――? と文次が小首をかしげると、猫侍のかれ声だ。
「さようなこと聞く耳持たぬ。神田の閑山として多少は人に知られた貴様と暖簾《のれん》のためを思えばこそ、内済にしてやろうとこうまで骨を折っているのだ」
大変恩にきせている。かと思うと、
「すこしは考えてみろ、出るところへ出れば、貴様の首はたちまち胴を離れるぞ」と一たん張り上げた持ち前の咽喉《のど》をぐっ[#「ぐっ」に傍点]と落として、
「それとも、俺の手にかかりたいか。こら、ぶった斬るぞ野郎、武士たる者へ死んだ女なんぞ送りつけやがって」
科白《せりふ》はだんだんへんにくずれてくるがそれだけ危険の度を増すのが内藤伊織だ。こいつのことだから、閑山の細首ぐらい笑いながらいつぶった[#「ぶった」に傍点]斬らないとも限らない。役者のような容相《かおかたち》にすさまじい殺剣の気と技《うで》を包んでいることは、昼の騒ぎで文次と安がよく知っている。
そろそろ顔を出そうかなと文次が動きかけたとき、
「旦那、まだ往生しませんかい」
と伊織へ声をかけて、表にはまた一人新手が助けに出たようだ。
帝釈《たいしゃく》丹三である。
溝泥《どぶどろ》を呑んだ腹いせに、眼玉を三角にしてがなり出した。
「えこうっ、爺《とっ》つぁん、やに手間あ取らせるじゃあねえか。人殺し兇状《きょうじょう》は、人ごろし兇状はな。いいか、人殺し兇――」
「これこれ、そう大声を発せんでもわかる。なあ閑山」
伊織がとめている。
「なあに、こんな唐変木《とうへんぼく》にあこのくれえでなけあ通じねえんで、大きな声は地声だ。やい人殺し兇状は――と来やがらあ。どうでえ」
何が
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