から見ても茶くみ女としか踏めない客だし、それに何かいわくありげなようすだが、そんなことはどうでもいい、一両と聞いて駕籠屋は死に身だ。
刺青《ほりもの》の膚に滝《たき》なす汗を振りとばして、車坂《くるまざか》を山下《やました》へぶっつけ御成《おなり》街道から[#「街道から」は底本では「街頭から」]筋かえ御門へ抜けて八|辻《つじ》の原《はら》。
右手、柳原《やなぎはら》の土手にそうて、供ぞろい美々しくお大名の行列が練って来る。
挟箱《はさみばこ》、鳥毛の槍《やり》、武鑑を繰るまでもなく、丸鍔《まるつば》の定紋で青山因幡守様《あおやまいなばのかみさま》と知れる。
「したあに下に、下におろうっ――」
駕籠はひたひた[#「ひたひた」に傍点]とこれに押されて、連雀町《れんじゃくちょう》の横丁へ逃げこんだ。このとき、太田姫稲荷《おおたひめいなり》の上から淡路坂《あわじざか》をおりてくる大八車が二、三台つづいた。大荷を積んで牛にひかせているから、歩みがのろい。
一時、あたりは行列で混乱し、今来た道は荷車でとだえた。駕籠屋は駕籠を下ろして往来の人といっしょに、大通りを往《ゆ》く行列を見物していた。ほんの一瞬間、が、人の気はむこうへ取られて、駕籠はちょっと物かげになった。
と見るや、すばやく履物《はきもの》をそろえて、女はすこしも取り乱さずに、するり[#「するり」に傍点]と駕籠を抜け出ると、べつに跫《あし》音を盗むでもなく、鷹揚《おおよう》に眼の前の一軒の店へはいって行った。
ほの暗い古道具屋の土間。
「いらっしゃいませ」
茶筌《ちゃせん》頭の五十|爺《おやじ》、真鍮縁の丸眼鏡《まるめがね》を額部《ひたい》へ掛けているのを忘れてあわててそこらをなでまわす。
「あの、しばらく」
とそれを制した女、にっと白い歯を見せたかと思うと、表からは見えない戸の内側へ、ぴったり蝙蝠《こうもり》のようにはりついた。
老爺《おやじ》はあっけにとられている。
まず大八が通り過ぎた。
すると、例の悪しつこい仲間奴《ちゅうげんやっこ》が、遠くに駕籠をにらんで立っている。駕籠は駕籠だが、これはもう藻抜けのかご[#「かご」に傍点]だ。しかし、奥山からここまで女をつけて来るなんて、いったいこの男は何者だろう?
そういえば、かくまで男の手からのがれようとする女も――?
嬉し野のおきんも眉唾者
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