出るもいっしょか。不思議な御縁だね」
 手枕舎里好である。

   流れゆく世の力

 障子に映る日ざしが、だんだん薄くなって、軒の影がはっ[#「はっ」に傍点]と思うまに、もう驚くほど下がっている。
 早い落日だ。
 蒲団《ふとん》から顔を出して、守人は障子の影を見ながら、外部の世界を想像している。下駄《げた》の音や人声が寝ている下の横町を流れて行って、車の音や、女たちの声、さすがに親しい下町の夕ぐれである。寝ている身にとって、音が何を意味し、音だけですべての動きが察しられるのが、守人には涙ぐましくまたほほえみたい気持ちだった。
 こうしているまも、同志たちは、本所割り下水の方来居に老主玄鶯院を囲んで大老要撃の画策を進めていることであろう――消息を絶ったあの女、惜しいところを逃がした遊佐銀二郎――あれからのこと、今後のこと、思えば一つとして気にならざるはない。
 が、人にきいても何も話してはくれない。文次も安兵衛も笑っているばかりで、何一つ、教えてくれようとはしないのだ。――。
 守人が障子の桟《さん》をはう隣の物干竿《ものほしざお》の影を、ぼんやりと見ていると、とんとん[#「とんとん」に傍点]と梯子段を踏み上がって来る足音。
 がらり[#「がらり」に傍点]襖《ふすま》があくと、いろは屋文次だ。
「どうですい。お茶がはいりましたが」
 自ら茶盆を持って来てすすめてくれる。守人は床の上へ起き上がって顔をしかめた。動くとまだ肩口の傷がいたむのだ。
「まだ傷が痛みますか」
「なに、大したこともござらぬ。重々のお心尽くしかたじけのうござる」
 ぽつり[#「ぽつり」に傍点]と切るようにいって二人は無言、文次の茶をすする音がのどかに聞こえた。
 ――あの夜。
 卑怯な遊佐銀二郎のために、肩へ斬り附けられた守人は、安兵衛に助けられて、銀二郎が影屋敷へはいって行った後、文次の心尽くしで、この日本橋浮世小路の文次の家、いろは寿司の二階へかつぎ込まれたのだった。
 同時に心をこめた文次の介抱が始まった。近所の外科医が招かれて、金創《きんそう》の手当てをする。食事から寝起き、文次の親切は親身も及ばないほどだった。若くして巷《ちまた》に浪々する篁守人、人の情けに泣かされたのはこのときだった。
「彼奴《あいつ》あ死に花を使う帳本人なんだ。今までだって、お役人を始め公儀の肩を持つ方々、町方の岡
前へ 次へ
全120ページ中114ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング