つ! と思いきや、どっこい! 賊の刀は上がり口の板をかんで、余勢がざあっ[#「ざあっ」に傍点]! と畳を切り開いたばかり。
 文次のからだはもう奥との通路の暖簾口にあった。と、そこに、覆面の黒装束が立っている。ふところ手だ。
 ぴたっ[#「ぴたっ」に傍点]! 顔と顔、文次と侍、しばしにらみ合いの体だ。文次のうしろには、一刀を取り構えた見張りの賊が、退路を断って凝然動かない。蒼白い文次の顔、そいつがにっこり[#「にっこり」に傍点]した。
「津賀閑山に用があって参りました者。そこをお通しください」
「閑山はおらぬ、用とは何だ」
「閑山はおらぬ? そんなわけはありませぬ。要談の約がありますゆえ、待っておりますはずで――」
「黙れ! おらんからおらんと申す。それともはいって、自身が見届けねば得心せぬというのか」
「閑山に会って話があります」
「閑山に会っても話はできんぞ」
「どうしてですね?」
「そのわけか。うん、見せてやる。こうだ!」
 つ[#「つ」に傍点]と侍が身をどかすと、狭い一間の行燈のそばに、閑山と飯たき久七、二人ともぎりぎり[#「ぎりぎり」に傍点]にしばり上げられて、おまけに猿轡《さるぐつわ》をかまされてころがっている。河岸《かし》へ鮪《まぐろ》が着いたようで、あんまりほめた景色《けしき》じゃない。
 文次は笑い出した。
「おやんなさったね、お侍さん」
「わかったか」と覆面の侍げらげらと咽喉《のど》を鳴らした。文次には記憶《おぼえ》のある、小癪《こしゃく》にさわる音声だ。
「どうだわかったか」
「わかりました」
 いいながら、文次、ちら[#「ちら」に傍点]と店の賊へ眼をやって、
「わかりましたよ、内藤さん、ずいぶんあばれますねえ」
「な、何だと? 内藤? 内藤とは何だ?」
「内藤とは内藤、内藤伊織だ。はっはっは、妻恋坂殿様の御用人、あんまり性《たち》のよくねえ赤鰯《あかいわし》さ。はっはっはは」
「ぷうっ! おのれ! 汝《なんじ》はここの手代だな」
「汝は、と来たね。だがね内藤の旦那、あっしあ手先だよ」
「なに、手先?」
「さよう、十手をいただいてるんだ。へっへっへ、いやな商売、どうせ畳の上じゃあ死にませんね」
 この文次のことばが、終わるかおわらないかに、たあっ――! と飛びすさった猫侍内藤伊織、にやり[#「にやり」に傍点]と笑って、店にいる抜刀へ声をかけた。
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