買い取った鎧櫃の覆《ふた》をあけて、裾を押えてはいり込もうとしている。
ほんとにこの中へこもる気!
閑山は真剣にまごつき出した。と、思い当たったのがさっき顔を見せた仲間奴のこと。
識《し》っている! あの男なら記憶《おぼえ》がある。
なぜ早くここへ気がつかなかったろう?
この女は捕吏《とりて》に追われているのだ!
「そうだっ」
とこの考えがぴいん[#「ぴいん」に傍点]と頭へ来ると同時に、別のたくらみが白雨雲《ゆうだちぐも》のように閑山の胸にわく。
このからだとこの金、これだけの代物《しろもの》と五百両、誰に渡してなろうか――。
「お爺つぁん、覆《ふた》しておくれよ」
女の声で閑山はわれに返った。
「よし。が、どこへ届けてやろう?」
「どこでもいいよ。どこか遠くへ持ってっておくれ」
「遠くへ?」
「ああ、面白いところへさ」
「ふうむ」
「あれさ、冗談だよ。本所《ほんじょ》石原新町《いしはらしんまち》の牛の御前のお旅所へ届けておくれな。これから行けば夜になるから、木立ちのかげへでもほうり出しさ。あたしゃあそこの割り下水に化けて出たい殿御があるの」
「承知した。うちの飯たきにひかせてやるのだから、怪しまれんように声を立てなさんな」
女は櫃の中で膝を抱いた。
「伊達緒《だてお》だけ掛けたように見せて錠は下ろさないでおくれねえ。出られないと事だから」
「窮屈だろうが、すこしのしんぼうだ」
「おとっつぁん、お前のなさけは忘れないよ」
「なんの」
ばたん、と覆をおろすと、にっ[#「にっ」に傍点]と笑った閑山、音のしないように伊達緒をぎりぎりに締めつけてそっと鍵《かぎ》をかけた。
軽く外からたたいてみる。
「居心地は、どうだ?」
というこころ、内部《なか》はいっぱいだから動けないし、何かいうのも聞こえない。
しめしめ!
すぐに向島の自分の寮へ運ばせておいて、あとから行ってしっぽり[#「しっぽり」に傍点]楽しんでやろう。さっき鏡で見た女の膚が、まざまざと閑山の眼へ返って来た。
それに、あの五百両。
あれも筋を洗えば、この女のことだ。案外話がわかるかもしれぬ。何しろ、可愛いのに痛い目を見せたくはないからな。しかし、出ようによっては――、
「久七《きゅうしち》、久七」
閑山は声高《こわだか》にたった一人の下男を呼んだ。出て来た久七、酒好きだが愚鈍実直な男
前へ
次へ
全120ページ中10ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング