考えた。はじめは、
「奴、又ねぼけやがったな」
と感じた。
今彼の傍に美しい寝顔を見せている青年には不幸な病気があった。それは夢遊病である。かつて国許にいた時、夜半にまきざっ棒を以て突然側にねていた父親を殴ったことがあった。おこされてから彼は何もしらなかった。何でも其の宵に、地方を廻って来た或る劇団の剣劇を見たのだそうだ。無論それまでにも彼がねぼけるのは屡々だったが、今までそんな烈しい例はなかったのでそれ以来、家では大いに警戒して彼の寝る部屋には危険なものは一さいおかぬことにきめた。
N亭に来たときもそのことはかねてから主人に聞かされていたが、藤次郎が要之助の夢遊病の状態を見たのは未だ一回しかなかった。
夜半に水道を烈しくだす音が余り長くやまなかったので主人が出て来て見ると、要之助が足を洗っているまねをしていた。烈しく殴って眼をさまさせた所、彼はまったくねぼけて水を出していたのだった。
藤次郎は其の有様を見ていた。そして主人と一緒になって彼を殴ったのだった。
藤次郎はその時のことを床の中で思いだしたのである。然し、次の瞬間に又誰かが上から降りて来る足音を聞いた。その足音は厠の辺で止り、ガタンと厠の戸をあける音が耳に入ッた時、藤次郎は急に妙なことを想像した。
再び戸が開く音がしてそのまま二階に戻るかと思っていると、それがずっと藤次郎のねている部屋の前まで来た。そうして暫く静かになった。外の人は中の様子を窺っているようだった。
藤次郎はちらりと要之助の方を見た。要之助は彼に背中を向けているが眠っているらしい。すると突然障子の外から、
「要ちゃん、要ちゃん」
とささやくような声が聞えた。藤次郎ははっと思った。それは美代子の声だった。
然し要之助は身動きもしない。
すると外で、
「要ちゃんてば……もうねちゃったの」
という声がきこえたかと思うと、そこを離れる気色《けはい》がして足音はすうっとそのまま、二階に上ってしまった。
まだしくしく痛む腹をおさえながら藤次郎は暫く天井を見ていた。軈て要之助の方を向いて、
「おい君、君」
とよびかけた。けれど要之助はこのとき真に眠っていたのかどうだったか、兎も角、全く知らん顔をして眼をつぶっていた。
若し此のとき、要之助が、藤次郎に対して返事をするか、又は藤次郎が彼をゆりおこすかして、当然二人の間に或る会話が
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