日を草原の中でねて暮そうかとも考えたが、結局、いつもの慰安所たる公園に来てしまった。彼は、どこかの映画館に入るつもりなのである。
 朝めしを食う気がしなかったので食べずに出て来たせいか、妙に空腹を感じて来た。
 然しわざわざめし屋に入る気もしなかった藤次郎は、池の角の所に出ていたゆで卵屋の所で、四ツばかり卵を買うとそれをそのまま袂に入れた。彼は映画を見ながら之を食べるつもりなのである。
 卵を買ってぶらぶら歩いて行くと人だかりがしていた。見ると人力車をたてかけてその上に袈裟衣をつけた僧形《そうぎょう》の人が一生懸命に何か云っている。彼はふと足をとめてその話をきいた。何か宗教の話ではないかと思ったのだ。所が突然その坊さんは、
「然るに現内閣は……」
 と云いだした。藤次郎は何となく興味を失って、そのさきにあった群衆の方に歩《あゆみ》をうつした。彼は今どんな話にも興味がもてない。然しどんな話にでも、興味をもとうと努めているのである。
 その一つさきの群衆の中心には角帽を冠った大学生風の男が手に一冊の本を携えてしきりに喋舌《しゃべ》っている。否どなっている。
「諸君は恐らく、そんな事はめったにあるものではないというだろう、と思うから愚かなんである。君等は法律を医者の薬と同じに考えているから困る。薬は病気にかかってはじめて要るものだ。然るに法律はそうでない。君等が一時たりとも法律を離れては存在し得ない。たとえば君等は大屋に渡した敷金なるものは如何なる性質のものか知っているか。よろしい。之は或いは知っている方もあろう。ところで君等の中には大屋もいるだろう。その人々はその敷金を消費することがはたしてどの程度に正しいか知っているか。今日君等は電車で又はバスでいや或いは円タクでここへ来たろう。電車に乗って切符を買うことはどういうことか知っているか」
 大学生と見える男は法律の話をしている。
 藤次郎は、法律なら俺には判るぞ、とその男の話をききはじめた。
「抑《そもそ》も電車の切符は、片道七銭也の受取であるか、それとも電車に乗る権利を与えたことを認めた一つの徴《しるし》であるか、之が君等に判然とわかるか。本書第百二十八頁に、大審院の下した所の判例がある。ちゃんとその点は判例を以って説明してある。円タクで来た諸君に問おう、君等はもし途中で円タクが動かなくなったらどうする。たちの悪い運転
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