ませんでした」
「そうですか、いやそれならそれでよろしい」
 対話は極めて円滑に進捗《しんちょく》した。凡てに渉って三時間たてつづけに調べられたが、ようやく一通りのことは終ったと思う頃、伯爵がきいた。
「いかがでしょう、私は許されましょうか。私の考えでは自分には過失はないように思いますが」
「私としては今は何も云う必要はないと思いますが、一応あなたの御身分に対して好意的に申しましょう。問題は、あなたの云う通りだとして、果して法律上過失があるかないかということなんですよ。あなたのいうことがほんとかどうか不幸にして立証すべき何物もない。死人に口なしで相手は死んで居る。又第三者で見た者が一人もないのです。従って少くもあなたの云われることを嘘だと立証すべき事実がないのです。そこであなたの今までの供述に従えば御安心なさい、この事件は不起訴になります。私はこの事件を不起訴にすることにきめました」
「ありがとうございました。これで私も安心致しました」
 伯爵がよろこんでドアをあけて出ようとする時だった。不意に後から声がきこえた。
「細山さん、しかしそれはあなたの計画通りに進んだわけじゃないですか、予期した通り、考えた筋書通りに!」
 細山伯爵はこの時ふりかえって大谷検事のすごい皮肉な微笑を見なければならなかった。
「細山さん、事件は之ですんだのです。然し私は検事としてでなく、個人としてあなたと少しお話したいのですがね」
 伯爵は思わず、もとの椅子に腰を下さなければならなかった。
「伯爵、之は私が個人として云うことですよ。検事としていうべきことは終りました。だからもはや安心なさってよろしい。ただ私大谷一個人としてお話したいことがあるのです。
 私は自分の職業の立場から常に犯罪ということに興味をもって居ます。如何にして犯罪を捜査するかということは云わば如何にして犯罪を行うかという事を考えることです。だから私は事件を調べることに趣味があるばかりでなく、もし私が犯人だったらどうするか。又はどうしたかというようなことをいつも考えるのです。
 あなたは、よく、山や海で二人づれの一人が不慮の死をとげた際に、一回もこれを疑ったことはありませんか。私は自分が検事だからというせいか、いつもあれは妙に思うのです。成程殺人としては動機がない。しかし動機がないということはただ外に表われないというだけですからね。人間ですもの、内にどんなことを考えて居るか判るものではありませんよ。
 ところでもし此の場合、動機が表われたとしたらどうでしょう。殺人として検事は起訴出来るでしょうか。つまりそこですよ。丁度あなたの事件のように、第三者が全くない。被疑者のいうことをくつがえす証拠がない。従っていくら検事でもどうすることも出来ますまい。とすると、この方法は殺人として最も巧妙な方法だと云うことになります。
 扠《さて》、ここにある夏、二人の男が海に行った。そしてその一人が崖から落ちて死んだのです。すると丁度一年程たってから、その時のつれの男が、ある過失か自殺で、自動車に衝突しました。ところがその時その自動車を運転していた男はさきに死んだ人の兄だったという事実がここにあると仮定します。そう、これは一ツの仮説の例ですよ。
 この二つの事件を偶然であり得ないとは云えますまい。しかしこの事実の間に、ある連絡をとって考えられぬことはありません。
 伯爵。私と同じ役人をしていた男で、今探偵小説作家になってる人があります。このあいだ一寸会った時に、私はこういう二つの事件を彼に語って見ました。するとその男は、小説家らしい途方もない空想を語りはじめたのです。之からあなたに申し上げるのは、私よりむしろその男の考えを多くいうのですから一つ小説のつもりできいてごらんなさい。
 その男の云うのは、まず海で青年が死んだ事件を殺人事件だと考えるのです。少くもその時死んだ人間の親とか兄とか、要するに最も近い人には殺人事件だと信ぜられたと仮定するのです。動機は無論外には表われては居らぬけれども殺された青年の側に居る者、例えば兄などには必ず推測がつくでしょう。その小説家は此の二つの事実に対して兄が『弟は殺された』と確信したと、推測することが最も自然だというのです。もし仮りに兄が、そう信じたら彼は一体どうするでしょう。今云った通り、法律的には之をどうすることも出来ない。訴えたとて何にもならぬ。結局残る所は直接の復讐手段でしょう、そして彼の兄なる人が馬鹿でない限り、自分も法律的には何等の危険のない方法をとるでしょう。伯爵、実際この場合、彼は最も賢明な方法をとったのです。はじめの事件が殺人事件だとされていない限り、之に対する復讐も亦、動機が一般には判らないわけです。即ち二度目の殺人は動機が全然外部に表われていない点に於いて、第一の殺人事件と同じわけです。
 扠、ここで仮りにこの兄なる人の位置を定めて見ましょう。仮りに之が子爵某という人だとします。即ち社会的に相当地位ある人間だとしましょう。少くとも殺人事件の如きには最も嫌疑のかかりそうもない地位に居るのです。即ち云いかえれば、最も巧みに人殺しの出来る地位に居るとしましょう。此の子爵は、弟が殺されたと信じて以来、どうにかして相手をやっつけようと考えて居る。絶えず遠くからその行動を注意していると、相手は神経衰弱にかかって役目をひいてしまうと判る。ところで子爵は、毎朝自動車を自ら駈って日比谷公園を通るのです。偶然にも或る朝、子爵は相手がここを通るのを見ました。時々、一方は徒歩、一方は車で公園のあたりで摺れ違う。そのうち子爵は相手の時間が一定しているのに気付きます。健康上いいからという理由で時間をくり上げて相手と必ず会うようにしはじめました。
 ところで伯爵、あなたの事件で、私はその小説家に云われてから気が付いたのですがね。日比谷公園ともあろう所で、あの時分どうして誰も他に人が居なかったかということを調べて見たのです。すると妙なことを発見したんですよ。どういう理由か一寸判らないが、あの事件のあった個所は、日曜日の朝は別ですが、他の朝はある一定の時間――無論極く短い間ですが人通りが全く一時に途絶えるという事実、而もそれが丁度伯爵あなたがあの日あそこを通られた時間だ、という事実が判って来ました。伯爵、半年も同じ道をドライヴ[#「ドライヴ」は底本では「デライヴ」と誤植]して居たこの物語の子爵某氏にそれが発見されぬ筈はありません。
 扠、ここまで来て私はこの小説の中の子爵の考えを始めから辿って見ましょう。まず弟が殺されたと思う。ひそかに注意して見ると弟の仇たる某紳士が神経衰弱に罹って役所を休んでしまう。無論子爵は之を良心の苛責と信じるからその確信はますます堅くなる。そこで愈《いよいよ》復讐の決心をする。偶然或る日、日比谷公園のドライヴ中某紳士を発見する。いつか又|出会《でっく》わす。之を知った子爵は某紳士の通る時間をはかって自動車を駈って摺れちがう。之から毎朝時間をいままでより早目に出る事にする。そうして半年の間二人は毎日のようにすれ違って居たわけです。之は子爵にとって二つの意味で重大であった筈です。一つは無論『仇の様子』を探る為です。他の意味は、もし某紳士が真犯人とすれば、子爵が殺した相手の兄だと知って居る彼にとって、毎朝偶然子爵に会うと云うことはたしかに一種の恐怖であり従って神経の弱って居るその男の態度に必ず変った所が見い出されるに違いない。そこで約半年子爵と某紳士とは摺れ違って居たとする。すると何日頃からか知らないけれども子爵はさっき云った妙な事実に気が付きはじめた、即ちある一定の時間に全く往来が途絶えるという事実。この事実が素晴しい手段を思い付かせたに相違ありません。
 之からこの子爵が、犯人としてどの位頭がいいかを説明しましょう。先に云った理由によって子爵が行おうとする殺人のモーティヴは決して暴露する危険はない。その点に就いて心配する必要は毫もない筈です。子爵はつまらない小細工は一切しないことにする。わざと白昼、頗《すこぶ》る自然らしく殺人を行おうというのです。ただ誰からも見て居られないということが絶対に必要です。然り、ただその一点だけが此の殺人事件に於いて必要だったのだから恐ろしいじゃありませんか。而も某紳士が海岸で用いた手も誰からも見られぬという点だけが大切だったのです。之に対する復讐としては蓋《けだ》し甚だ適切だったと云うべきでありましょう。
 子爵の用いた武器、即ちこの場合兇器は? 之こそ子爵の頭のよさを示すものです。彼は自分の乗っている自動車を相手にぶっつけようというのです。白昼、日比谷公園の中で、あの時に而も人の恐れる検事局の前で、パッカードで人を殺す! 何というモダーンな、而も頭のよい犯罪でしょう。
 現今われわれ法律家から云えば自動車位殺人の兇器にたやすく[#「たやすく」に傍点]利用され得るものは他にないのです。たやすくとは安全に[#「安全に」に傍点]の意味ですよ。今云ったもとの同僚の探偵小説作家などは役人だった時分からこれを主張して居ました。『探偵小説作家が殺人方法として自動車を兇器に用いるのが一番現代に適切だろう。犯人にとって法律的にこの位安心なものはないのだから。それ程、現今の交通状態と法律とはかけはなれている。僕だってそれを書かせれば書くんだがほんとうにまねをする奴が出るといけないからまだ書かないんだ』とは最近彼が、私に洩した感想です。
 子爵の考えも正にそこだったのです。これは子爵が相当な法律家だということを表わしています。自動車の事件は誰も見ていない限り、相手を殺してしまえば、特殊の場合でない限り、丁度あなたの時同様、検事は被疑者の供述以外に手がかりがないのですから、めったに起訴されないことになるのです。而も最悪の場合を考えて見ましょうか。誰か現場を見ていたとする。この場合故意に相手を殺したと思う人があるでしょうか。誰しも狼狽の極と思うでしょう。ことに殺人の動機が外に表われていない時においては、何人《なんびと》か之を人殺しと云い得るでしょう。即ち最悪の場合でも殺人事件にはなりませぬ。十人の証人が居て悉《ことごと》く子爵に不利益な証言をした所で事件は業務上過失致死罪の罰、即ち三年以下の禁錮又は千円以下の罰金ですむ筈です。伯爵、あなたは子爵某が過って人を轢殺して三年の体刑になると思いますか、今までの判例を見れは直ぐ判ることです。之は半年の間狙いに狙った刹那がそういう最悪の瞬間と仮定してもの話ですよ。而もこの不幸のプロバビリティーは子爵の計算に従えば頗る小さいものだったに違いありません。即ち子爵は、犯行の日、日比谷門から霞門に向いてドライヴする。相手がいつもの通り右側の舗道(即ち子爵から云えば左)を歩いて来るのが見えた。神経衰弱にかかった紳士があそこを西から東へ行く時は右の舗道を歩くのが最も安定だと考えるにきまっています。何故ならばあそこの舗道は甚だ狭く左側を通れば後から来る多くの自動車におびやかされるからです。子爵は素早くあたりを見まわす、といってもまず右側だけです。前面はカーヴしているからこっちだけ見ていればよい。左側は鉄柵で仕切られた植込みだからめったにこっちから人が来る筈はない。そのうち子爵と某紳士の距離はますます迫る。この辺でよしという所で、子爵はまッしぐらに相手の身体めがけて――即ち今までの進路から一寸左にハンドルを切って突進する。今まで通りに歩いていれば安心だと思っていた相手は驚いて逃げようとするひまがない。無論右に避けたいが鉄柵ですぐにはとび越えられぬ。仕方がないから左即ち車道に出ようとする。とたんに車体が相手を引き倒すという次第なのです。この場合相手が車道へ少しでもとび出して来ることが必要なのです。何故なら歩道へのりかけてそこで引き倒しては明かに過失ですから。自殺した場所さえ車道なら、はじめ少し車がカーヴして来てもその跡なんか、キぐ踏んでも消せますからね。現にあなたの場合などは全然車のあとは踏み消されて居たそうです。無論あ
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