大胆でない私は、とび上るように驚いた。自ら人殺しだと名乗る位な男だから、何をやるか判らない。私は強いておちついた風をしてその手を払ったが、次にどうするかと恐る恐る彼を眺めた。
しかし彼は、ふり払われた手を右ポケットの中につっこむと、そこから又新しいウイスキーをとり出してがぶりとあおった。
「あなたから人殺しだけを教わって、良心や恐怖をふりすてる事を教わらなかった私のこの頃の有様は毎日これです。これがなくては生きて行かれない。……うちに居ても毎日これだ。妻はひろ子を失った悲嘆の余りのやけ酒[#「やけ酒」に傍点]だと思ってやがる馬鹿!」
こういうと彼は突然、座席の上にぐるりと仆れたが、そのまま目をつぶって眠りはじめた。
興奮の後の疲れが彼を襲ったのであろう。
私はやっと安心して、向う側の座席にそっと移り、出来るだけ彼の目をさまさぬよう用心した。
暗い外の景色をながめながら、私はこの恐ろしい話をいろいろに想像して見た。もしほんとだとすれば私は人殺しと並んで居るのだ。しかし、まさか、と思われるようでもある。
こうやって一人いろいろの事を考えているうち、列車はT駅の一つ手前のF駅についたのである。すると相川はむっくり起き上ったが、席をうつした私を見ると、又前にやって来て云った。
「先生、どこまで行くんです」
私はただ一言、
「T駅」
と答えた。
「T市? そりゃ実に偶然です。一緒に降りましょう。私もそこでおりるんです。一緒に歩いて下さい。きっと刑事が私を見張ってますよ」
「そんなわけはないじゃないか」
「いえ、そんな気がするんです。どうもそうらしい。ひろ子の奴が墓場からそういって居やがる。警察に云ったに違いない。ねえ、一緒に歩いて下さいよ」
私はこの際、黙ってうなずく事が最も賢明であると悟って、たてにかぶりをふったまま黙って彼を見た。これ以上何か云う事は一層この男の気狂いじみた振舞をあおるばかりだと考えたからである。
二人が無言のまま向き合って居る間に、列車はついにT駅に着いたのである。
四
読者諸君、これがいつもの私の書くような小説だったら、私は探偵小説の常道として次のように最後の章をむすぶだろう。
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列車がT駅に着すると、今まで妙な顔をしていた相川俊夫は不意にきっぱりとした快活な調子を現わし、陽気な笑顔を作って私の手を握った。
『××先生、どうでした、今までの話は! 無論あれは皆出鱈目ですよ。私には第一女房なんてまだないんです。平生先生の小説を愛読しているので、御退屈をまぎらす為にあんな話をして見たのです。一昨日は東京で偶然のり合わせ、今日も又思いがけなく乗り合わせましたね。如何です、出来ばえは。あはははは左様なら』
唖然としている私をあとに彼はさっさと車から出て行った。
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読者は多分こういう結末を予想されたかも知れぬ。又私自身も、こういう結末を予想しないではなかった。ことによると一杯かつがれたのではないか、とも思って見た。だから、もし彼がすっくと立ち上ったなら、やられぬうちに先手を打って、
『やあ、ありがとう、素晴らしい出来ばえでした。おかげで退屈しないですみましたよ。御作は早速発表しましょう』
と、こう云ってやるつもりだったのである。
所が事実というものは、中々探偵小説のようには行かぬものだ。
T駅に着くと、彼は立ち上りはしたが、何かしきりに物をおそれるように私によりそうのだった。
私は、いたわるように彼をそばに引きつけて、車を下りたのだが、プラットフォームを三、四歩行くうちに、私は思わずあっと叫ぶ所だった。
一見何気なく装っては居るが、検事として刑事等に接した事のある私には、数歩むこうに、私服の刑事らしい男が電燈にてらされながら、二人こちらを見るような見ないような振りをして、やはり同じ方向を歩いて居るのを見出したからである。
然らば彼の犯罪は、全く事実だったのだ。
ブリッジを渡って改札口まではわれわれ(この場合われわれと云わなければならぬのは真に遺憾だが)は無事に歩いて行った。
しかし改札口に近づいた時、さきの二人の刑事らしい男は飛鳥のようにとんで来て、相川の前後即ち私の前後に立ちふさがった。
その瞬間の相川の死人のように変じた顔色は、今でも私の目の前にある。
刑事はいきなり、名刺を出して相川に示し、小声で何か二言三言ささやいた。恐らく自分の身分を明かにしたのだろう。
次の瞬間に相川は、脱兎の如くとび出そうとしたが、その逃れないのを知るやいきなり私を指さして気狂いのように絶叫した。
「この男だ、ほんとうはこの男だ。俺の子をほんとに殺したのはこの男だ、俺が手を下したのはまちがいない。しかし、ほんとはこいつが
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