そうですか。それはほんとですか。……では何時《いつ》何処《どこ》で、君が誰を殺したか、順序をたてて話してごらんなさい」
私は彼がしゃべる事が必ずノンセンスだろうと思ったのである。精神病の医者でない私には、こうやったなら相手のいう話に必ず辻褄の合わぬ妙な事が出来て来ると思ったのだ。医者でない悲しさに、この際、これ以外にこんな気狂いを取り扱う方法を私は全く知らなかったのである。
「先生、きいてくれますか…………では一通りお話ししましょう」
相川はかく前おきをして語りはじめた。
私は念の為、周囲を見廻したがまわりは不相変すいて居る上彼の声は列車の走る音に消されて、私以外には決してきかれる恐れはなかった。
なお先に一言つけ加えておけば、私は彼の話をきいているうちに、彼が悲しい事には(!)決して気狂いでない事を知ったのである。
三
「初めにはっきり申しておきます。私は今から二ヶ月半ばかり前、即ちこの二月の初旬、僅か二歳になったばかりの私の娘をこの手で殺してしまったのです。これは全く間違いのない事実です。
何故、私が我が子を殺したか? 憎くてならなかったからです。何故殺したい程憎かったか。それは、我が妻の子だったからです。我が子と私は云いました。しかし、あの赤ん坊がたしかに我が子だったかどうかは判りません。否、殺した時、私は妻の子であっても私の子ではないと信じたのです。
私は今帰りつつある郷里(読者よ、それは偶然にも筆者の目的地と同じなのである)で、三年前にある女と結婚しました。私はおはずかしい話ですが彼女に惚れたのです。彼女も又私を愛しました。少なくも私はそう信じて居ました。
私らが結婚する以前、私には互いに知り合いではありませんでしたが、競争者らしいものがありました。敏子――これは妻の名です――は固い家の娘なのですが、彼女の家では二階を若い男に貸して居たのです。東京生まれの水原という男が、敏子の家に居た事があります。その男が敏子に恋しているという話をきいた事があるので、水原という名は私には常に恋仇のように考えられて居たのでした。この男は私達の結婚の少し前に東京へ去りました。
結婚までにも種々な事がありましたが、それ等は煩しくなりますから省いて、すぐ結婚生活の話に入ります。私ははじめは幸福でした。妻の家にもと居た水原の事などは全く忘れてしまった位幸福だったのです。
ところが偶然の機会から、この幸福は全く破れてしまいました。それはたった一つの封書にすぎませんでした。結婚後暫くたってからの或る日、男文字で書かれた手紙が妻宛に来たのです。私は自分の所に一緒に来た手紙を片っぱしから開いていたので、つい、その手紙も自分のところに来たものと思い違えたのでした。無論封筒の上書きが男の字だったから、こんなことになったのでした。中から出て来たのは、水原からの手紙だったのですが、表にはっきり男の字で書いてある位ですから、中の文句だって一つもへんな事は書いてありません。
けれど、変な事の書いてないその手紙が私には、限りなく不快だったのです。『その後御結婚|被遊《あそばされ》御幸福に御暮しの由』という第一冒頭の文句からして、気に入りませんでした。私の気もちにして見れば、私の妻は私のもので誰からも指一つさされたくないのです。私ら夫婦の間に、他の男から手紙が妻に来るなどという事は考えられなかったのです。私は、たしかに嫉妬深い男でしょう。たとえなき不愉快な数日の後、ある夜私は妻を責めて責めて責めぬいたのです。そうして水原との間について訊ねました。その時、妻はとうとう恐ろしい告白をしてしまいました。その時から私は凡ての幸福を失ってしまったのです。
あなたは検事をして居られたから、犯人がその犯罪をどんな風に自白するか、殊に女の犯罪者がどんなにその罪を告白するか、そのいろいろな有様を知って居らるるでしょう。その夜の私の妻の告白は驚くべきものではありましたが、いざ告白という所まで決心した敏子は、実に冷静に過去の事実を述べはじめたのです。
この告白は、或る事実を肯定したのです。彼女と水原とはかつて恋人であったというのです。いや、それ以上だったのです。よもやよもやと思っていた事が事実だったので、私は一時まっくらやみに突きこまれたようにもがきくるしみました。苦しい数日数夜を通らなければならなかったのです。はじめは、余り私が嫉妬深いので、わざと妻が私にからかって居るのではないか、と思いました。いや、むしろそうであってほしいと願ったのです。自白する妻の前で私は歎願しました。どうか今まで云った事は嘘だと云ってくれと! しかし、妻の告白は全く間違いはなかったのです。ただ敏子は、過去の罪はあくまで自分でわびるが、将来は決して左様な事はしない、
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