殺して、しかも罰せられずにすむかという事を書いて居られる」
「それで?」
「判りませんか、私のいう意味が。あなたはああいうものを書く事によって多くの人々に巧みな殺人方法を教えているのです。人を殺しても、こうすれば決して罰せられぬという事を宣伝して居るのです。かりにここに殺人を行おうとする人間があれを見て、もしまねをしたらどうします? あなたはそんな事を考えた事はありませんか」
「まさか、そんな人はないでしょう」
「しかし、幾千万の中に一人でもそんな人が居たら、あなたは何と云ってその人と社会に謝りますか? そうです、たった一人でもそういう人が出たらあなたの責任です」
「僕はそんな事は有り得ないと思う」
「いや、あるかも知れない。少くも有り得る。少くもないとは云えない!」
 彼は断固として云い切った。
 ここに至って彼は今やなめくじ男ではない。蛇男でもない。猛虎である。彼は真正面から私に迫って来るのである。実際私もたじたじの形で今更、こんな論題を追った事を後悔した。
「しかし、有り得ると君が云った所で、又ないと僕が断言したところで、つまり水かけ論に終るのだからね。ともかく君の御忠告はあり難く拝聴しておく」
 こう云って私は衝突をさけようとした。
 相川俊夫はこの時、急に口をつぐんだ。そうして又例の妖気に満ちた顔で私をながめはじめたのである。
 私は相手が黙ったので、彼が一寸まいって口をつぐんだと解したため、これ以上の論議を打ち切るために余計な事を云ってしまった。
「だから此の問題はこれ以上進んでも仕方がないのですよ。……一昨夜電車でお目にかかった時、今日のように名乗って下されば、うちででもお話が出来たのですが残念でしたね」
 私は論議打ち切りの印のつもりでこう云いながら、傍の雑誌を手にとった。
 しかるに、彼は又々執拗に迫って来た。
「若し? 若し……そうです、若しここに一人でもあなたの為に殺人者になったという人間があるという事を、私が立証したらあなたはどうします?」
「無論、あなたが、そう主張なさるなら信じないわけにはいかないでしょう。僕はそんな事があろうとは思いませんが」
「たしかにあります。一人、確かに!」
「確かに? 君はほんとうにそう云うのか」
「無論です。たしかに少なくも一人私はそういう人のある事を知って居ます。先生、私はたしかにそういう一人を知って居ますよ
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