しかにそうなのです。三分の一だか四分の一だかそれは私存じませんけれども、ともかく母の方はそんなにやることはない、そんなことには絶対に反対だ、というようです。父は父でどういうわけか、また自分の云い分を決して一歩もひかないのでございます。これはまことに妙なお話なのです。何故つて、父はさきにも申しました通り脅迫状の一件で何事にも恐怖心をもつており、そんな剛情をはる気力もないのに、このことになると、大変な見幕になるのです。母は元来おとなしい女で、今まで父と争つたりしたことはないのですけれど、やはりこの問題にふれると大変むきになつて、ヒステリーをおこしてしまうのでございます」
「たとえばどんな調子なのです?」
「ある時母が云つた言葉は、『あんなどこの馬の骨だかわからないものにそんなにやるなんて……』というような事がありました」
「どこの馬の骨? すると伊達のことをさされたのでしようね」
「ところが先生、すぐそのあとから『相手の男だつてどこの者だか判りやしない』という言葉が母の口をついて出たのでございます」

      3

 藤枝は左右の手の甲を交る交るこすりはじめた。これは彼が非常な興味をもつてあるものを観察するか、何事かをきいている時にきまつて出る癖である。
「ほほう、そりやちと妙ですな」
「あの……でも私、それからいろいろ考えますと、何だかこんな気が致しますの、あのさだ子というのは実はまつたく他人で、私の実の妹ではないのじやないかしら、と……」
「然し、さだ子さんはたしかにお父様の子のように思われますがね」
 藤枝はこの言葉を充分確信あるもののように云い放つた。
「父の子? では母の子ではないとおつしやるのですか」
「そこですよ。あなたが今まで云われた点から、もしさだ子さんの素性を疑い得るとすればですね、そこを疑い得るということです」
「まつたくそうなのでございます。私もこのごろになつてさだ子は私の妹ではない、少くとも母の子ではない、ということを信ずるようになつたのでございます。それで母があんなに父に反対しているのだと考えられるのでございます。一体今までこんなことを少しも思わなかつたのは、母が少しもさだ子に冷淡でなかつたからでございますの。今年になつて例の結婚の話と、それに絡む財産の問題が起りますまでは、一回だつてそんな様子を見せたことはございません。さだ子だつて勿論まつたくほんとの子だと思つているようでございます。それがこのごろ母とさだ子とがまつたく仲が悪くなつてしまいました、母はヒステリーのようになりますと、私の前などでもさだ子の事をひどく悪く云うようになりました。さだ子の方では明らかに母のことを悪くは申しませんでしたが、でも心の中では何と思つておりますか……先日などは、母が何か父と激論をまじえた揚句、私の所にまいり、
『このまま行つたら私はきつと殺されてしまうよ。お父さんかさだ子か伊達に!』
 と申してしきりと泣きはじめたのでございます。私は驚いてそのわけをたずねましたが、決して申しません。父に対していろいろききましても一ことも申さないのでございます」
「ちよつとおたずねしますがね、最近になつてもお父さんは例の恐怖の様子を盛んに表わしておられたのでしようね」
「はい」
「すると、お母さんの方はどうですか、今の、殺されるかも知れぬなどと云うのは無論一時の発作での言葉でしようが、多少やはり恐怖心でも、もたれていたでしようか」
「平生はさほどでもございませんでした。けれど夜などは大変神経質になつていたようでございます。妙な話ですが、昨夜あの騒ぎの時気がつきましたのですが、母の部屋から父の寝室に通つている戸がなかから鍵がかけてございましたので父は表の戸をこわしてとびこんだのですけれど、こんなことから考えますと、きつと母は父に対して恐怖と憎念とを抱いていたのではないでしようか」
「もう一つおたずねします。お父さんの例の恐怖はただ自分のいのちだけのように思いましたか。それともあなた方にもしきりと警戒するように云われましたか」
「それはこの前申し上げた時と同じく、このごろになつてからますます盛んに云うようになりました。私ら子供に対してもまた母に対しても、しきりに気をつけるように申しておりました」
「成程……すると、今までの話では、お母さんがお父さんを憎みはじめた。それからあなたがさだ子さんの素性を疑りはじめたということになるのですね。もつともさだ子さんの方のことは単にあなたの疑いにすぎぬが……」
「いえ、ただ私の疑いばかりではございませぬ。とうとう母がそれについて私に申しましたのです」

      4

「お母さんが?」
「はい、しかも昨夜のことでございます。私は母と伊達さんがどつちも気まずいような顔で話しており、さだ子がまた母と大分長く話していたのを知つておりましたので、さだ子が自分の部屋に戻つた頃を見はからつてそつと母の所に行つて見ました」
「ははあ、そうするとあなたがさつき検事に話されたところと少々違いますね。あなたはさつきはたしかずつと自分の部屋にいたといわれたようでしたが」
「そうでございます。でもほんとのことをあの時申しますと、妹や伊達さんにすぐ嫌疑がかかりそうで気の毒だつたものですから」
「それでお母さんは何と云われたのですか」
 彼は相変らず手をこすつていたがこの時、シガレットを一本とつて口にくわえた。
「母は大変に興奮しておりまして、いろいろ申しましたが、結局、父が余りにさだ子と伊達の結婚について二人の為を思いすぎる。自分は結婚には決して反対ではないが、その条件には絶対に反対だ。お前も極力父に反対してくれ、とこう申すのです。それで私も今までの疑念を晴らすのはこの時と思いましたので、お父さんが二人の為を思いすぎるつて、さだ子も私の妹であなたの子ではありませんか、ときいて見ました」
「うん、そうしたら」
「そうしたら母が急に暫く黙つてしまいましたが、突然私に『お前ほんとにあれを私の子だと思つているのかい?』と青い顔をしてきき返すのです。『そうじやございませんの?』とまた私がきき返しますと、しばらく母は黙つて居りましたが、軈て苦しそうに顔をしかめながら『それについては明日でもゆつくり話してあげる。これには深いわけがあるのだからねえ。どうも頭が割れそうに痛いから今日はもうこの話はやめておくれ』と申しました。それで私も強いてはこれ以上きかなかつたのでございました。私が部屋に帰ろうとする時、『お母様、頭痛ならお薬のんではどう?』と申しますと、母は『ああお薬はとつてあるのだがお前、さだ子がこのあいだのんだ薬を知つているかい』と申すのです『アンチピリンでしよう』と私が云いますと『ではのんでも大丈夫だろうね。何分さだ子にすすめられたものだからね。心配で……』とこう申しました。私はそれで部屋に戻りましたが、私がねる前、お休みなさいを云いに母の部屋にまいりました時はまだ起きておりました。父がまだおきていたからだと思います」
「ところで昨夜母上が死なれたとすると、その秘密はとうとうあなたに知られずにしまつたのですな」
「はい」
「そこでつまりあなたの今の考えをいちごんで云えば、母上の死についてはさだ子さんか伊達か、または両方が怪しいということになるんですね」
「まあ、そう申す事は恐ろしゆうございますけれど、そう思うより外仕方がないかと考えます。もつともこれはごくないないのことで……」
「御もつとも。それで検事には云われなかつたのでしよう。判りました。時にあなたは探偵小説はお好きと見えますね」
 昨夜のヴァン・ダインの小説事件が彼の頭にまだこびりついていると見えてまたしてもこんな質問をしはじめた。
「はい、すきでございますわ。アメリカのものは余り面白くございませんけれど、ヴァン・ダインなどはいいと思います」
「グリーン・マーダー・ケースはどうでした?」
「結構だと存じます。ただ私には途中から犯人が判つてしまいましたので」
「へえ、えらいですね。あれは中々判らないんだが」
「でもあの犯人は、実子ではないのでしよう。一家族の中に他人が一人はいつておりますのですもの」

   第二の惨劇

      1

 藤枝とひろ子はなお一しきり探偵小説の話をしていたが、私には一体何の為に藤枝がこんな会話を特にこんな場合えらんだのかさつぱり判らなかつた。
 暫くしてひろ子がいとまをつげて去ろうとすると、藤枝は、
「これから私が度々お宅に伺いますから、あなた御自身は余りこちらに出かけぬ方がいいと思います。世間がうるさいですからね。なるべくなら今度の事件も新聞などに載らぬ方がいいですから」
 とやさしくさとしていたが私の方を見て云つた。
「君また御苦労だがお送りしてくれないか」
 そこで私はきのうと同様、タクシーをよんでひろ子をその家の門まで送つたが、今日は是非上つて茶でものんで行けと云われるのを断つて、いそいでまた藤枝の事務所に戻つて来た。
「オイ。いよいよグリーン殺人事件になつて来たね」
 私は彼の興味をまたひくために帰るといきなりこう云つて見た。
「うん、似た所もあり、大いに違つてる所もありだよ」
 意外にも彼はこの話題には全く趣味がなくなつたらしく、ものうげにこう云つたのみであつた。
 さきに述べた通り、これが四月十八日の出来事で、この日はこれ以上何も記すべきことはなかつた。
 翌十九日早く大学で死体解剖があり、死因はまさに昇汞をのんだためと判つた。藤枝も林田も大学まで行つたそうだが私は行かず、ちよつと社へ顔を出して後、藤枝と一緒に秋川家を訪問した。警部も林田も来ていたが取調べも余り進んだようすはなかつた。警察でも確たる証拠を握らぬと見え、誰も拘引されたものもなく、表面何事もなく十九日はくれた。この日は、徳子の死を伝え聞いて親戚等が大分集つて来ていたので、さすがの藤枝も林田も充分な取調べはやりにくかつたらしい。
 翌二十日の午後、質素な葬儀がいとなまれた。
 報道機関はさすがに敏活で十八日の夕刊には既に「秋川家の怪事件」とか「秋川夫人の怪死事件」とかいう標題がかかげられたが、諸新聞は一斉に不思議にも翌十九日の夕刊に「秋川徳子の死は過失死」という事を書きたてた。
 これは秋川家の主人が全力をつくして新聞社に手を廻したのかあるいは警察で、犯人捜査の為わざとかやうな報道をさせたのか、または秋川一家と当局者とが巧に新聞社の人々を斯く信ぜしめたのか、私にはよく判らないけれども、ともかく、秋川夫人は十七日の夜頭痛の薬をのむつもりで誤つて駿三の催眠剤を多量に服用し、その結果、不慮の死を招いたものと一般に報ぜられたのである。
 だから世人は、藤枝、林田両探偵がせつかく登場したけれども、実は過失死事件であつたかと、いささか力ぬけの気味があつたようだ。
 もしこのまま秋川家に何事も起らなかつたなら、世人は秋川夫人の怪事件を、あるいはそれきりで忘れてしまつたかも知れぬ。つづいておこつたあの惨劇がなかつたならきつと秋川という家は、殺人鬼という名と共に人の記憶に残るようなことはなかつたろう。
 然るに、第二の悲劇が意外にも同一の家の中におこつた。これは藤枝と林田にはあらかじめ予告のあつたことはすでに読者の知らるる通りだ。しかし世人は無論そんなことを知らない。否私だつてこんな予告を信じていたわけではない。
 しかし悲劇は予告よりもはるかに早くおこつた。五月一日をまたず。四月二十日、すなわち夫人の葬儀の夜、意外な時におもいもかけぬ人が被害者となつた。
 誰が殺されたか。
 読者試みに想像したまえ。

      2

 と云つたからとて、四月二十日まで警察が眠つていたわけでもなく、また藤枝、林田両探偵が手をつかねてぼんやりしていたというわけでは勿論ないのだ。
 よく探偵小説などでは、殺人事件が起ると少しでも怪しいという人間が片つ端から拘引されるように書いてあるものだけれど、いやしくも法治国において、現実に事件が起つた場合、ただ「あいつが怪しい」位で無闇とその人間を引
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