けれども、それでも牛込の老婆殺しの事件、清川侯爵邸の怪事件、富豪安田家の宝物紛失事件、蓑川文学博士邸の殺人事件などは、人々のよく知る所となつていると思われる。
 鬼検事は依然として鬼である。在職当時よりも、自由がきくだけ一層悪漢らには恐れられているわけだ。
 私、小川雅夫は、実は彼と高等学校が同期なのでその頃から彼とはかなり親しくしていた。
 当時、世の中は、新浪漫派の文学の勃興時代だつた。誰でも当時の読書子は必ず一時は文学青年、兼、哲学青年になつたものである。
 藤枝も私も御多分にもれず、イプセンを論じ、ストリンドベルグを語り、ロマン・ローランの小説を徹夜して読むかたわら、判りもしないのに、一応判つた顔で、ベルグソンやオイケンを語り合つたものだつた。
 実際いまから考えると冷汗ものだが、その頃の高等学校の自分達の部屋には、ニーチェの言葉のらくがき[#「らくがき」に傍点]が必ずしてあり、一方の壁にはベートホーヴェンのあのいかめしい肖像画をかけているかと思うと、ミケランジェロの壁画の写真が片つぽうにはつてあつたものだ。
 だから藤枝も私も将来は大文豪か大哲人になるつもりでいたものである。
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