大きなドアをかるく叩いて、
「ここです。屍体のおいてあるのは、検事もここにおられますから……」
と藤枝に云つた。
藤枝は幾分緊張した顔で私の方をさそうように見たが、ふと傍《かたわ》らの壁にかけてある美しい色の額をさしながら私にささやいた。
「オイ君、ゴッホだぜ。さつきのルーベンスの『ドライ・グラチェン』に気がついたかい。金持にしちやめずらしい趣味だね」
2
途端に右手の戸があいて、警部が先ずはいり、つづいて藤枝がさつさと中にはいつて行つた。後から私もついて行つたが、此の部屋は外見と違つて広い日本間である。二十畳もあるだろうか、見渡したところ、ちよつとお客でもする座敷らしいが、その上手の方に立派な床がとつてあつて、秋川夫人の屍体はその上に横たえられているらしく、その周囲にかねて顔を見知つている奥山検事が坐つて、かたわらの洋服の人と何かひそひそと語つているのは、おそらくは裁判所の書記ででもあろうか。
死者に対する――殊に、ちやんとこうして形よくととのえられた屍体に対する礼儀を守つて、藤枝は小さい声で奥山検事に挨拶をしているらしいので、私は遠くの方にすわつてかるく一礼
前へ
次へ
全566ページ中56ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング