たのである。
「やあお待ちどおさま」
彼はこう云いながら、靴を脱ぎはじめた。
「今聞いたらね、検事局からは奥山検事が来たんだそうだ。ほら君もよく知つてるだろう。いつか牛込の老婆殺しの事件の時に君にも紹介した事がある人さ。丁度よかつたよ」
二人は案内されるままに上ると、すぐ右手にある応接間に通されたが、まもなくやさしい絹ずれの音がして、昨日のひろ子が入口にあらわれた。
「先生、よく来て下さいました……とうとう大変な事が起りましたの……」
彼女はこう云つたが、見ると昨日とはまつたくようすが変つていた。顔の化粧もろくろくしていないが、泣きはらした美しい眼が、彼女に更に一層のいたましい妖婉さを与えている。
悲劇を繞る人々
1
「とんだ事でした。ほんとにとんでもない事でした。しかし、まだお母様のおなくなりになつた原因ははつきり判らないと思いますが、あるいは何か過つて呑まれたのかも知れません。が、万一、お母様が誰かに……」
藤枝はここまできて口をつぐんでしまつた。
母を失つたばかりのこのやさしい女性の前で、その次の言葉をはつきり口に出す事は、さすがの女性蔑視主義者
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