う。
「では君、何故もと早くそれをやらなかつたんだい。君は第二の事件のあとですでに林田を疑つている。少くも第三の事件の後には君は相当の確信を得ているではないか。あの時君の推理を書いて彼につきつけてやつたら、林田はあの時自殺していただろうにね」
「そうは云えない、そう簡単には行かんよ。第一あの頃には、動機が判らなかつたために僕の方に自信がなかつた。第二、これは重大なことだが林田の心理状態を考えに入れなければならぬ。彼の心理状態はあの頃と今ではまるで違つているぜ。あの頃は終生の仇たる駿三がピンピンしていた。――もつとも弱つてはいたがともかく生きていた。だからもしあの時に僕が彼の犯罪をあばいてつきつければ、たとえ誇りを失つても、彼はヤケになつてあばれる勇気が残つている。しかるに今はどうだ。最後の目的たる駿三は一足おさきに死んでしまつた。彼は少からず力抜けているのみか、一体駿三は誰に殺されたのか、という疑惑の中にさえいる。僕はそこを狙つたんだよ。それですらあいつ、死に際に悪あがきをしやがつた。僕は実は昨夜の中に彼はおとなしく……そうだ、英雄らしく従容として死をえらぶと信じていたのだ。だから今朝電話で探りを入れたんだが、奴、自殺する道連れをえらんだんだよ。無理心中の相手にさだ子をえらんだつていうわけさ。それに、僕が昨日になつてはじめてこの手段に出たことには決して手ぬかりはないつもりだ。第三の事件以後、僕が彼を犯人なりと信じてからは、確実に秋川一家の人達を守つたつもりだ。今朝のさわぎをのぞけばね」
成程そういわれて見れば、第四の事件は殺人事件ではなし、結局、殺されたのは初江が最後ということになる。
10[#「10」は縦中横]
「これで秋川家の怪事件の物語は一通り君に説明したつもりだが、どこか判らない所があるかい」
藤枝はシガレットを立てつづけにくゆらしながらにつこりして私を見た。
「何だか、まだはつきりしないというような様子をしているね。そうそう、あれだろう、ひろ子がグリーン・マーダー・ケースをどうしてあんな時に読んでいたか、ということが不思議なんだろう」
「うん」
「それに就いては、一応あの家の人々の心理状態を説明しておかなくてはならん。僕はさつき遺伝[#「遺伝」は底本では「遣伝」]という事の恐ろしさを警察でちよつと口に出した筈だ。ほんとに恐るべきは秋川駿三に伝わつた血統だ。もつとはつきり云えば山田家のいやな血統だ。山田信之助はあの宿命的な三角形を形造ることによつて非常な不幸を生んだ。駿三はその子である。青年時代に見込まれて秋川家に入つただけあつて彼は相当な手腕家となつた。一代にして巨富を積んだ。しかも彼はやはり山田家の不幸な血をうけていたのだ。それは何というか、いわば好色とでもいうか、ともかく異性との問題については父同様の弱者であつたという事である。彼はすでに述べた通り、伊達捷平の妻と不義を働くようになつた。しかもまもなく、また他の女との間にさだ子という娘を作つてしまつたのだ。僕は、最初、三人の娘の顔を見た時に、さだ子はことによると徳子の娘ではないのじやないかとちよつと感じた。この疑いは、初江とさだ子だけがたつた一つ違いだという点で一層はつきりするが、後にひろ子の話によつて全く明らかになつた」
「ねえ藤枝、一体さだ子の母親は誰だろう」
「さあ、それは判らない。芸者かも知れない。あるいは素人かも知れない。僕には全く見当がつかない。しかしこれを知る必要がないではないか。いずれにしても駿三の過去の秘密だ。彼がかくしおおせてこの世を去つたのだ。今さら用もないのにこれをあばく必要はあるまい。そこで駿三という男はまた大体こうした男だつたんだね。一言で云えば社会的には立派な一人前の男だつた。しかし家庭の人としては全く成つていなかつたんだ、といえる。
「さて、こういう駿三が陽気な家庭を作れないということは明らかなことだ。さだ子を自分の家に入れた時、伊達正男を養育しはじめた時、必ずや夫人との間にトラブルがあつたにちがいない。もつとも、伊達正男を養育するについては無論事の真相は徳子にはいわなかつたろうが、さだ子の場合には多分事実をばらしたろう。こうやつて表向きは立派だが、駿三の家は、内面的には極めて暗い、じめじめした家庭を作つていたわけなのだ。
「駿三は、しかし過去のあの秘密におびやかされつづけて段々衰えて来た。ことに、脅迫状を受け取つてからは一層それがひどくなつてついには職を抛つようにさえなつた。ところで一番賢明で元気だつたひろ子が、家庭の秘密を嗅ぎ出したのだ。彼女は、かねてからクリミノロギーや探偵小説に興味をもつていた。自分の家の状態を考えてから彼女は今までの趣味をそのまま実地に応用して考えはじめたのだ。今までの蘊蓄を傾けて、自分
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