の時僕が彼を訴える。しかし、一体どこに彼を犯人だと名指す証拠があるか? そもそも何を証拠に彼を弾劾できるか、なるほどさだ子は林田のアリバイをこわすかも知れない。しかし林田の二十日の夜のアリバイが立たぬとなつても彼が殺人犯人だといえぬことは、伊達の場合と全く同じさ。(あらしの前第一回参照)

      4

「一にも証拠、二にも証拠だ。林田の犯罪には一つも直接証拠がないんだ。ねえ君、君は刑事がどうやつてすりを捕えるか知つているかい。たしかにあいつが怪しい、ホラ今あの男にあたつた、と思つてそれだけでは捕えてもだめなんだ。刑事はひそかにすりの後を尾行するんだぜ。そうして確かな証拠を握れるまでいつまでもいつまでもあとを追う。云いかえれば被害者が、ほんとに物をとられるまで、待つているんだ。僕が検事をしていた時にも、刑事が余り早くすりを捕えすぎたんで、どうしても証拠があがらず、起訴することが出来なかつた場合がいくらもある。林田はたしかに犯人に相違ない。しかも、将来に於いても誰かを殺すだろう、しかしこれだけでは、あいつを捕えることはできない。いや、あるいはあの辺で捕まれば、彼としては『待つてました』かも知れない。『では私が犯人だという証拠をあげて下さい』と来る。そうすれば警察も検事も一遍にダアだからな。それも通常の犯人ならいざ知らず、林田程の者ならばどうにでもして嫌疑から逃れることを知つているよ。証拠のない殺人! この位始末の悪いものはないんだ。」
「成程、訴え出ない理由は判つた。それにしてもそれならばせめて警部にでもその話をしておく方がよかつたのじやないかな。でなければ将来被害者たり得べき三人の娘にでも警告しておくのが正当だつたじやないか」
「君は警部のあの頃の考え方を思い出していない。のみならず警部をして確信せしめるためにはやはり確たる証拠を必要とするのだよ。警部はすなわち法律家の一人だからな。それを見せない限り、僕の云うことは寝言とより外考えられなかつたに違いない。現に今日、さだ子の首をしめたのが林田と判つていてすら警部は未だ信じ切れぬようすだつたじやないか」
「それじや娘に警告するという方は?」
「なおいけない。娘にばかりじやない、君にもかくしておかねばならなかつたんだ。君でも三人のお嬢さんたちでも皆正直すぎる。もし林田が犯人だという事を聞かされれば、君らは必ずその様子を顔色で表わしてしまう。さだ子の如きは、僕より林田を信用している関係から、あるいは僕の考えを林田に告げるかも知れない。そうすれば事はますます危険になる」
「というのは?」
「君は佐田やすが何故殺されたか知つているだろう。もしあの頃林田が自分に嫌疑がかかつていると悟れば、彼はまず第一に、あの二十日の夜、アリバイを立てさせたさだ子を殺すにちがいないんだ。さだ子がまず早速危険に陷る。だから林田を疑つていることは決して本人に悟らせてはいかん。実に秘中の秘なんだ。これで僕が自分の考えを誰にも洩らさなかつた理由が判つたろう」
「では君は怪しいと信じただけでいかんともすることが出来ず、ちようど刑事がすりを捕えるのと同じように次の被害者の出来るまで待つていたわけかい」
「じようだんじやない。人の生命は蟇口とは違うよ。いくら何でも僕は第三回の殺人を待つていたわけじやないんだ。しかし、現今の法律の立て前として、あの智力優秀な林田に対してあれ以上何が出来るか考えて見給え。僕はただ心配して最後の謎を解こうとしていたのだ。最後の謎というのは、脅迫状は一体誰から最初来たか、伊達夫婦の身寄りの者とすればその者は何処に今いるか。しかして一体林田が何故秋川家をあんなに呪つているのか、ということだ。それを明らかにすればあるいは何か確たる証拠を掴むことが出来るかも知れないと思つていたのだ。

      5

「僕は一刻も早く自分で林田の故郷へ行かなくちやならんと決心した。ところへあの発熱で床につかなければならなかつた。この間に、しかし面白いことが判つた。それは早川辰吉の性質だよ。彼が変態性慾患者だということだ。(第三の悲劇第十回参照)あれで僕はますます林田犯人説のたしかな事を信じた。そうだ。林田ともあろうものが、どうしてやす[#「やす」に傍点]を殺すのにあんなにあわてたか。必ず彼の計算のどこかに誤りがあつたに相違ない。とすればどこだろう。ここにやつと解決が与えられた。すなわち林田はやす[#「やす」に傍点]の辰吉に対する気もちを誤解したのだ。しかし相変らず証拠はなく僕はただ君に注意するより外仕方がなかつたのさ」伊勢海老の皿がさがると、大きなビーフステーキが出て来たのでわれわれはしばらくその方を片付けにかかつたが、やがて藤枝は語りつづけた。
「二十五日にとうとう初江が殺されてしまつた。最初あれを聞いた時は
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