を犠牲にした呪詛は実に四十年以前の林田文次が山田信之助に対するものだつたのだよ。彼は妻に死なれ、もしくは妻を殺してから、一才になる英三が八才になるまで、山田信之助を呪いつづけた。すなわち自分が死ぬまで呪いつづけたのだ。幼き英三は、哀れにも幼年時代を悪魔のような呪いをふきこまれ通して育つたのだ。彼にはだから天が下に山田信之助程憎いものはなかつたのだよ」
藤枝はチラリと私の方を見たが、私はこの時、昨日の林田と藤枝の話を思い出したのである。(最終の悲劇第四回参照)
「文次が死ぬ時に、永久に山田信之助及びその一族を呪えという遺書を残したかどうか遺憾ながら判らない。しかしそういう遺書を残すということは、あり得ることでもあり又ありそうなことだね。孤児になつた英三は親戚の手で育てられ、一方山田一家は、気もちが悪くなつたのか、まもなく岡山県に移つてしまつたんだ。英三は無事に育つて学校に入りやがて卒業した。彼はその間中、心では山田一家を呪つていたかも知れないが、ともかく自分の人生のコースをわり合にしつかりと進んで行つた。封建時代の息子なら父の仇を討つのに一生を捧げたかも知れぬが、明治に生れた彼にはそんな気もちはなかつたのだろう。しかし幼時に吹きこまれた呪いは、根強く彼の頭の中で生長して行つた。
「ところが、山田信之助は林田文次が死んでから八年程たつて病死している。当時英三は十六、七だから、彼の手がのびたわけではない。ここにおいて、恨みはその子の健《たけし》と駿三にうつつたわけだ。ところが健は、結婚して間もなく僅か二十七で一人の息子を残して死んでしまつている。これは正しく病死だ。健は駿三より三つ上だつたから健が死んだ時に駿三は二十四才、しかして英三はそれより四つ下だから二十才である。健の残した小太郎という子はどうしたかというと、十二才の時に、近所に蝉を取りに行くと云つて出たまま行方不明となり、間もなく古池の中からその死体が出たが、他殺の嫌疑なく、誤つて足を踏みはずして死んだものと認定された。何分中国の一寒村での出来事だから誰にも大した注意をひかれずにすんでしまつた。しかし今から思うと、当時私立大学を出た頃だつたからあるいは彼の手がのびたのかも判らぬ。が、これは永久に解けぬ謎さ。そこでいよいよ英三の仇は秋川家に入つた駿三及びその家族ということになつたわけだ」
「そんなら、何故もつと早く仇討に着手しなかつたのかね。まるで探偵小説みたいじやないか。ある一家を呪う犯罪人は、探偵小説の中でも一番まずい時にいつも出て来るじやないか。シャーロック・ホームズだの、フィロ・ヴァンスなんかが登場してからやり出すからいけないんだよ。林田英三だつて君のような名探偵が出て来る前にやつつけりやよかつたのに」
検事が好い質問をした。これは私もこの時、胸にいだいた疑問であつた。
「名探偵はおそれ入るね。シャーロック・ホームズやフィロ・ヴァンスの場合はいざ知らず、我が林田英三君は現れるにはちやんと現れるべき時をえらんでいるよ。決してその点は不用意じやないよ」
「というのは、例の脅迫状の一件かい」
「そうさ。これには林田英三の心理に立ち入つて見る必要があるんだ。彼は、学校を無事に出て名探偵になつて安楽にくらしている。何もすきこのんでこんなさわぎをする必要はなかつたんだ。では何故こんなまねをはじめたか。
3
「直接の動機は今も云つたように里村千代の脅迫状だつたんだ。これを受け取つた駿三が、この世の中でたつた一人の頼りとして林田をえらんだ。これは無論、駿三が、私立探偵として林田の功績と声名をよく知つていたからだ。そこで駿三は林田だけには過去の罪を悉く述べたのだ。駿三の白状を聞いた林田は運命の相似形をしばらく驚嘆して見つめていたにちがいない。しかも頼つて来た相手は、四十年前の宿命の三角形の一角にいるべき山田家の息子だ。この三角形の相似がどれほど彼をおびやかしたかは蓋し想像するに難くない。幼少の頃、深くほりこまれた呪いが、成人した林田の頭の中で再び息をしはじめる。彼は何者だ。私立探偵である。犯罪人を追うことによつて、犯罪を研究することによつて、彼は完全なクリミノローグになつている。しかも、自分の過去をめぐる宿命の三角形の中に、相似形が又ここに一つあらわれている。もし犯罪が行われればフレッシュな内側の三角形が無論問題になるべきで、それがため林田が関係している四十年前の三角形は巧みにかげにかくれていることが出来る。
「永年の間、眠つていた呪いが頭をもたげはじめた。加うるに犯罪学者としての彼の自信が彼をけしかけた。いざという場合にはことごとく嫌疑は脅迫状の送り主にかかる。更に加うるに秋川家のあのふしぎな家庭内の空気がある。時正に乗ずべしというわけさ」
「それにしても藤枝君、君
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