した。
「嘘です。嘘です。断じてそんなことはありません。僕が、秋川家の者を恨む理由は何もないじやありませんか」
「ないどころか、大ありさ。秋川駿三はお前の仇だ」
「だつてそりや、おじさんが死んでからやつと昨日知つた事実なんです。それまでは僕何にも知つていなかつたんです」
「それなら、お前は昨日はじめて知つた、という証拠があげられるかね」
「母の遺書です。あれは昨日まで、たしかにあの秘密の戸棚にはいつていました」
「冗談云つちやいけない。母の遺書なんか見なくたつて誰からだつてあんな話はきけた筈じやないか。お前は里村千代という叔母に会つたことはないのか」
「会つたどころか、名をきくのさえはじめてです」
「そうか」
 高橋警部はまだ中々満足しそうもないようだつたが、ちようどこの時刑事が、
「検事殿が見えました」
 と云つてはいつて来たので目くばせで、一旦伊達をまた留置場に戻した。
 そこへ、現れたのは奥山検事だつた。
「高橋君、里村千代という女のようすはどうだい。何だか大分新しい事実が判つたそうだね」
「はあ、大分新事実が現れました。しかしいずれも被疑者には不利なものです。が、ともかく、藤枝君の調査には感服しましたよ」
「やあ君、御苦労様、秋川殺人事件もどうやら大詰に近づいたようだが、君のお骨折りに感謝しなければならんね」
「うん、大詰に近づいたことはたしかだ。たしかに大詰に近づいてはいる。しかしはたしてあなた方の考えている通りの大団円にいくかどうかはまだ判らん……時に奥山君、君は、今日駿三の解剖に立ち会つたかい」
「うん、行つて来た。解剖の結果彼の死の直接の原因は、心臓麻痺だということが判つた。後頭部の外傷が致命傷ではないそうだ」
「そうか」
 藤枝は何故か急に晴れ晴れとした顔色になりながら云つた。
「そうか。ではやつぱり僕のテオリーは、まちがつていなかつたんだ」

      3

 夕方の五時頃、蘆田病院から千代が今息を引取つたという報告があつた。行つていた刑事が、千代の遺書というものをもつて来た。これに書いてあつた内容は既述の通りである。
 われわれは、その遺書を見てから、警察を出た。
「藤枝、里村千代が死を以て争つたにもかかわらず、警部は依然として伊達を疑つているらしいじやないか」
「うん、そうさ。里村千代はいつ登場するか全く判らなかつたからな。いつ出て来てもいいように用意がしてあつたのさ[#「いつ出て来てもいいように用意がしてあつたのさ」に傍点]」
「誰が」
「犯人がさ[#「犯人がさ」に傍点]」
 私には藤枝のいうことが何のことかさつぱり判らなかつた。
「ところで一旦僕らはここで別れるとしよう。君はどこかで夕めしでも食べて、七時半頃に――いや八時でもいいが僕のオフィスまで来てくれないか。その時分に僕は待つているから」
「そうかい。用があるのかい、じやそうしよう」
 私は何となく心残りがしたが、藤枝がこういうので、やむなく彼に別れ、銀座に出た。
 銀座で夕食を食べてブラブラしながら時を費した。
 その間私は事件をいろいろに考えていた。
 藤枝のこの間の急な旅行の意味も大ていわかつた。それにしても彼の腕には驚くの外はない。しかし一体彼は誰を疑つているのだろう[#「一体彼は誰を疑つているのだろう」に傍点]。それからあの昨日の彼のあわて方。いやあわて方といえばあの時の林田のあわて方も著しかつた。駿三が死んだ時、どうしてこの二人がああもひどくおどろいたのだろう。
 こんなことを考えているうちに時計はちようど七時半になつた。
 私はいそいで彼のオフィスに行つた。
 彼は何か書きものをし終つたところだつた。
「うん、ちようどよかつた。今用事がすんだところだよ。さて、いよいよ秋川家の殺人事件も終りに近づいて来た。僕にも大てい犯人の見当はついて来たのだ。それについてこれから是非会つておかねばならぬ人があるのだ」
「一体誰だい、そりや」
「僕の競争者さ。林田英三だよ。奴は一体どこまで真相を掴んだか、というのだ。これから行つて僕の考えを述べようと思うんだ。僕が勝つか、彼が勝つか、両方かつか、または両方とも失敗するかだ」
「彼も昨日は大分あわてていたらしいが」
「そうだ。昨日は僕も彼も大あわてだつた。そのあわて方がはたして同じ理由だつたかどうかを知りたいものだね[#「そのあわて方がはたして同じ理由だつたかどうかを知りたいものだね」に傍点]」
 われわれはまもなく車上の人となつた。
 あらかじめ藤枝から林田に電話で通告がしてあつたと見え、二人はすぐ小ぢんまりした洋風の応接間に通された。
「や、昨日は失敬、今日はまたとんでもない女が出て来たつていうじやないか」
 林田は出て来るとすぐにそう云つた。
「うん、しかし自殺しちまつたよ。だから、充分なこと
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