四十四、五の婦人である。女は、警部の腕にもたれかかつているが苦しそうに身体をもがいている。
不意の闖入者を見て、警部は怒るかと思いの外、助かつたという色をした。
「藤枝君、早く病院につれていかなけりやいかん」
「毒をのんだんだな。よろしい」
藤枝の活躍振りは目ざましかつた。野原医師と共に女に手当をする一方、女を肩にかけて自動車にはこぶと、警部やその他の者と共に一散に近くの蘆田病院にかけこんだ。
7
嚥下した毒を吐かせたり、注射をしたり、あらゆる手当が行われた。女はベッドの中にねかされてようやく落ちついたが、それは、われわれが警察をとび出してから二時間位後のことであつた。
「どうです。助かりましようか」
と警部が院長の蘆田博士にきく。
「のんだのは××××です。手当が早かつたからあるいは助かるかも知れませんが、しかし、大分ひどくのんでいるらしいので、あるいは……」
と云つて博士はしばらく考えていたが、
「もしお訊ねになる必要があるのでしたら、早い方がいいかも知れませんね、けれどおそらく充分には答えられないでしよう」
そういううちにも、博士は看護婦達を指揮してしきりに手当につとめている。
「とにかくわれわれは別室ですこし待ちます」
警部をはじめ藤枝、私は隣の室に退いた。
「驚いたね、どうも。『私が犯人です。伊達ではありません。あの子は何も知らないのです』と叫ぶと同時に毒をのんでくるしみはじめたのでね」
警部はこの意外な女の出現にすつかりおどろかされたらしいが、同時に、藤枝に対する信用を全く回復したらしい。
「一体、名は何と云つていました? 何とか千代子と名乗つていたでしよう?」
藤枝が自信ありげに警部に訊ねた。
「うん、里村千代というんだ」
「そうだ。あれは伊達正男の叔母にあたる人ですよ」
「へえ? 君よく知つているね」
「そこまでは判つているのだ。ただ彼女の行方が判らなかつたのだ。伊達正男が犯人だということが新聞に出れば、彼女はどうしても登場して来なくちやならないんだ。彼女は今回の秋川家の惨劇の口火をつけた女なんだから……」
警部も私も目をまるくして藤枝の顔をながめた。
蘆田博士がこの時室に現れた。
「患者は同じような状態で苦しんでいます。しかし本人がしきりとあなた方にあいたがつていますから話をきいてやつてはどうですか。私の立場としてはもう少し安静にさせたいのだけれど、あああせつていては却つて本人のためにもよくないし、それに……それにあのままになつてしまうかも知れませんから」
「じや行つてきこうじやありませんか」
藤枝が警部を促がした。
里村千代はベッドの中にはいつていたが、ひどく苦しそうだつた。何かしきりにいいたがつているが充分にききとれない。
警部も、もて余し気味で、相談するように藤枝の方を見た。
「じや、君のいいたいことを僕が云つてやろう。君は耳を働かしてよく僕のいうことをきいていてくれ給え。そうしてまちがつていることがあつたら、そういつてくれ給え」
藤枝は、千代の枕辺に椅子を持ち出してそれに腰かけた。
「里村千代子、といつたね、君は」
女は首をたてにふつた。
「里村千代子、結婚する前の名前は村井千代子、君の姉は村井かよ、これが後に伊達かよ子となつた、すなわち伊達捷平の妻である。だから君は、伊達かよ子の妹で、正男の叔母に当るわけだね。君は今日の新聞を見て二つの決心をした。一つは無実の甥を救わねばならぬ、という決心。一つはそれを言つて自殺しようという決心。後の決心は、君が呪いの余り行つたことが意外な恐ろしい結果を生んだので今更我身が恐ろしくなつたからだ」
さては、この女が犯人だつたのか。
8
「君は警部に云つた。『伊達正男は犯人ではない。あの子は何も知らないのだ』と。よろしい。これは私は無条件で承知しよう。しかし、『私が犯人です』という一言を僕は信用することは出来ない。ねえ君、君自身ですら、あの秋川家の殺人事件を知らないのじやないのかね」
藤枝はこう云つてじつと千代子の顔を見つめた。千代子は驚いた顔をしたが、すぐにそれはあきらめの表情とかわつた。
「君は秋川家を呪うの余り、とんでもない事件を惹起してしまつた。けれど君はその犯人ではない。そう、僕は君が、犯人にあの殺人の動機を与えた点と、ヒステリーの極知らぬまに犯人の機械となつていた点とを責めることは出来る。君は秋川家に、タイプライターで脅迫状を送つた。そうしてこれを郵送した。君は先月の十七日に藤枝真太郎という男のオフィスに電話をかけた。同じ日に敷島ガレーヂという自動車屋に電話をかけてひろ子の足取りをきいている。ところが、第一、第二の事件が起つたので君は痛快を感じながらも驚いてしばらくなり行きを傍観していた、と
前へ
次へ
全142ページ中110ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング