れない。これがもし探偵小説なら僕は第二の事件から先に書くねえ。何故ならばその方がすぐ読者をひきつけると思うからだ。第一の事件は地味で渋い。第二の方が派手だからな。
「けれども、わが殺人シンフォニーの作者には第一楽章の方が性質に適している筈だ。彼は最終までアンダンテで押し通すべきだつた。彼には昨夜のようなプレストの作曲は元来むかないんだよ」
彼は立つたまま紅茶をのんだがやがて私の前に腰を下ろした。
7
「昨夜は僕も実は驚いたんだ。第二の楽章が終つた時、それが余りに第一楽章とちがつているのでひよつとするとこりや作者、すなわち犯人が別なのじやないかと疑つて見た。しかし、昨夜ずつと考えて見るとどうしてもやはり同一人の作としか思われない。秋川一家に対する「呪《のろい》」の Leitmotiv《ライトモチーブ》 が奏せられている限り、どうしても同一人の仕業と思わなけりやならん。とすればだ。どうしてあのような作者たる犯人は五月一日を待たず、昨夜俄に、殺人を行つたか。これに対する解答はたつた一つしかあり得ない。すなわち、五月一日まで待てぬ事情がおこつたのだ[#「五月一日まで待てぬ事情がおこつたのだ」に傍点]。昨夜犯人の予算に入れてなかつたことが起つたのだ。切迫した意外なことが……」
「そりや何だろう」
「さ、何だろう。昨夜意外な予想外なことがおこつた。犯人に危険が迫つた。しかしてその結果やす子が殺されたのだよ」
「…………」
「判らないかい。佐田やす子の問題だよ、僕と林田のあの烈しい訊問だよ。その結果あの女がもしかすると何か自白しやしまいかということになつたのだ。それを云われちや大変だというので、犯人はおどろいて彼女を殺したと思うのが合理的じやないか」
「しかし、君や林田や警察がやす子を相当厳しく訊問するということは犯人はあらかじめ充分知つている筈だろう。ことに君がいう通り犯人が大天才だとすれば、そんなことはとくに予算に入れていなけりやならない」
「えらい。流石は君だ。そうだよ。無論だよ。その犯人は少くとも五月一日まではやす子が生きていても大丈夫と考えていた筈だ。当分やす子は口を割るまいと信じていた。それが急に昨夜あわてたのだ。彼女に対する犯人の自信がぐらついたと見る外はない。そこでこれからの犯罪の様子が大変なんだ。プレストだ。アヂタートだよ。そして仕上げは案外うまく行つたがずいぶんきわどい仕事だつたよ。
素人目には派手で、素晴らしく見えるかも知れない。しかしあの堂々たる序曲と第一楽章を作つた作者にしては決して誇るべからざる第二楽章ができ上つてしまつたのだ。
テンポの緩やかな長いイントロダクション、続いて湖水の表のような冷静な第一楽章、アンダンテ、しかして作者はこの章と第二楽章との間に少くとも十二日間という休符を挿入するつもりだつた。ところが予期せざる事情の為に第二楽章は意外に早く、しかもプレストで行われた。秋川一家というテーマの上に組み立てられたこの殺人シンフォニーはかくして第一、第二の楽章がアンダンテとプレストに作られ偶然にもシンフォニーの形式で弾奏されはじめたのだ。はたして第三楽章がつづいて演ぜられるだろうか。……そうだ。ことによると、第三楽章がまた意外に早く来はしないかな。ぐずぐずしてはおられん」
彼はこういうと、腕時計にチラリと目をやつた。
「そうあわてる必要もあるまい。しかし、気がせくよ」
「そんなに早急なのかい」
「うん、この殺人芸術家はシンフォニーの第二楽章を不用意に開始した。彼如何に天才なればとて、必ずや何か手ぬかりを残している。この手ぬかりの故だよ。もし第三楽章が急に演ぜられるとすれば……しかしまだ時間がある。僕らは例によつて一応昨夜の事件を考えて見ようよ」
彼はシガーの煙をますます濃くはき出した。
「例の草笛氏のサインで顔色をかえた。この前後のことでだろう。犯人がやす子の様子に自信がおけなくなつたのは」
「だつてあの時は君と僕と林田の三人しかいなかつたぜ」
「何も顔色をかえた刹那をいうのじやない。それから部屋を出て後のようすがどんなものだつたかな」
「それは僕らに判らんね」
8
「恐らくその時分わが天才犯罪人は、これはどうしても一刻も早くやす子を殺さなければならないと決心したのだ」
「じや一体犯人はその時うちの中にいたのかね」
「さあ、彼女の態度なり様子を知つていた以上、少くも秋川家の門の中にいたと思わなけりやならぬ[#「少くも秋川家の門の中にいたと思わなけりやならぬ」に傍点]。問題は、顔色をかえてピヤノの部屋を出たやす子があれから誰に出会《でくわ》したかということだ。犯人はおそらくやす子と共に庭に出たか、やす子のあとをつけたと見なければならない。それはいずれにせよ、昨夜あの騒ぎ
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