利益を得る人を疑えということがあるからな」
「じや結局、徳子の犯人もやす子の犯人も、駿太郎のそれも君は皆同一だというのかい」
「明らかに断言はせん。しかし一応そう考えるべきだと思う。ただ、今云つたように、何も知らぬ草笛氏が偶然に徳子の事件の証人を失つてしまつたと考える方法もあるが。少くも徳子、駿太郎は同一人の手でやられている」
 彼はこう云うと、ふと立ち上つて窓の外を見ていたが、傍のシガー入の箱を取り出して私にもすすめ、自分も一本ぬき出して火を点じた。エーアシップの煙の中に、香高いシガーの紫煙が立ち昇りはじめた。
「時に話は違うが、君は犯罪にもまた人の個性があらわれるということを知つているかね。つまりAという人間のやつた犯罪をBという犯人がやれば、決してAのやつたと同じ犯罪が出来るものではない、ということだ。すなわちいいかえれば心理学的に犯罪のやり方特色を見るということだ」
「フィロ・ヴァンス先生がそんなことをやはり云つてるね」
「僕はフィロ・ヴァンス探偵の云う程、ああすべてを心理学的に見るということはどうかと思うが、少くとも今度の二つの事件をそういう角度から観察するのは必要だと思うよ」
 彼は片手を後にやり片手で時々シガーを口にもつて行きながら部屋の中をあちこちと歩きまわつてしやべり出した。
「僕は今回の犯罪を同一人がやつたことと信じている。だからこそその犯人をナポレオンなり天才なりとして尊敬しているのだ。まずあのうす気味悪い脅迫状を思い出したまえ。これこそ堂々たるイントロダクションではないか。そうして十七日に行われたあの悲劇。何と完全に、何と冷静に、何とうす気味悪く行われたことか。かくして Murder Symphony(殺人交響楽)の第一楽章が奏でられ終つたのである」
「何、殺人シンフォニー?」

      6

「そうだ。僕の考える所によればこの犯人は順次に秋川一家の人々をやつつけて行くつもりじやないかと思う。その第一の犠牲者がすなわち徳子だと云うわけだ」
「君はそれを殺人シンフォニーの第一ムーヴメントだというのかい」
「ふん、もし云い得ればね。殺人は音楽ではない。どんな天才だつて多くの殺人をソナタ形式で行つてゆけるものじやないよ。恐らく、最終の楽章まで第一楽章と同じに作り奏して行かねばならない筈だ。それが今云つた通り犯罪には犯人の個性があらわれて来るという所だ。だから、第二の犯罪も第一と同じ色彩をもつていなければならない。すなわち、あのように完全に、あのように堂々と行われるべきである」
 彼はプカリとシガーの煙をはいた。
「くり返していう。堂々たるあの序曲。これは極めて静かに秋川一家にひたひたと波の如くよせて来た。それがすむと十七日のあの惨劇だ。これは完全だけれども極めて陰気に、しかもテンポは緩やかに行われた。……僕は徳子の死に方を云つてるのじやないぜ。犯罪の性質だよ。実によく考え、よく落着き、冷静にことが運ばれている。音楽の言葉で云えばこの第一楽章は andante か adagio である。
 しかして、徳子が頭痛でやす子が薬を取りに行つたというそのチャンスの掴み方が実におちついている。そこで僕はこの犯人はおそらく、予告の如く五月一日に同じ組立の上に第二楽章を演奏すると思つていたんだ。不意に昨夜おこつて僕はいささか驚いたのだよ。五月一日という約束を破つてなぜ犯人は四月二十日をえらんだのだろう」
「君は殺人犯人から紳士の約束を期待するのかい」
「必ずしも然らずだ、が、この犯人のような奴はきつと約束を守るものだよ。今までのやり方を考えて見たまえ」
「うん」
「ここに微妙な心理学的の考察が必要となるのだ。その犯人がだね。予じめ五月一日といつておきながらどうして廿日になつて俄然その第二楽章を演奏したか、という問題だ。しかもあんなに急テンポに僕らの前でたつた三、四分の間にね」
 私には彼のいう所がよく判らなかつた。
「昨夜の惨劇のあの素晴らしさ、あの電光のような速さ。正にこれは Presto agitato だ。第一の楽章をあの荘重なアダヂオで作曲した犯人が何故第二楽章を昨夜突然プレストで書いたか。君にはこれが判るかね。実に予期に反した出来事じやないか。彼は第二の殺人も四月十七日の通りの調子で五月一日に行おうと思つたのだ。昨夜僕らは全く不意を打たれた形だつたよ。しかしこれは何故だろう。
 ここで忘れてならないことは、第二の殺人、すなわち昨夜の事件は、実に早く、素晴らしくものの見事にやつてのけて、大向うをうならせたかも知れないが、第一の殺人に比して甚だしくそのやり方が拙いということだ。作者すなわち犯人は非常な危険を冒して、危く身を以つて免れている。危険に身をさらしただけに案外その結果は見事だつた。だから一般には受けるかも知
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