けトーストを食うとしようか」
藤枝は、トーストを片手に取りながら、ミルクをやけにたくさん紅茶に入れると、むしやむしや遠慮なく朝めしをやり出した。
「どうも朝早く起きるとすぐは食慾がないんでね」
彼はこんな事を云いながら中々重大問題に触れて来ない。
やつと朝めしが終ると口をぬぐつて彼は云い出した。
「さて、いよいよ難問題を考えるとしようか」
3
「四月十七日の夜半、秋川徳子が毒殺された。四月二十日の午後八時四十分頃に同家の息子、たつた一人の男子駿太郎少年と雇人の佐田やす子が庭で惨殺された。そこでこれらの三人は一体同一犯人にやられたのだろうかどうだろう」
「判らないね」
「判らない? そりやまあ僕だつて判然としたことはいいかねる。しかしここにこういう事実を加えて見ようじやないか。秋川という一家の主人に昨年の夏頃から何者とも知れぬ奴が脅迫状をよこす。それが為に主人は神経衰弱になつて一さいの公の仕事から手をひいた。最近ではますます度が強くなつて自分のみでなく家族の人々にも警戒させる。これが第一。ところがこの秋川一家が普通の家庭じやない。何だかしらぬが複雑極まる家である。まず長女はほんとの子らしいが次女がおかしい。次女は父のたねらしいが母が異《ちが》う。すなわち秋川の主人が他の女につくつた娘をひきとつて自分の本妻の子として育てているらしい。無論戸籍にもそう書いてあるに違いない。この次女が長女とは仲がよくない。これが第二。更にここに不思議な伊達正男という存在がある。これはひそかに今素性を調査しているから何者の子か、ということは近いうちに判ると思うがこの男がこの次女と婚約者になつている。この婚約の条件として父の出している条件がまた普通ではない。これが第三。それが為に夫婦間に争いがおこつていて嘘か本当か妻は誰かに殺されやしないか、と恐れていた。彼女は夫すらもしまいには警戒して寝室の中から夫の寝室の方に向つても鍵をかけてねていた、夫の方は妻の身を案じて、相変らず警戒しろと云つていたということ。これが第四。第一回の事件が起つてから長女のひろ子は積極的にさだ子のことを怪しんでいる。無論その婚約者の伊達も共犯者と信じられているらしい。ここでちよつと参考に云つておくが、ひろ子は非常に探偵小説にくわしいこと。私の所に思い余つてたずねて来たその夜、事件の直前までヴァン・ダインをしきりに読んでいたという性格の女であること。大変に理智的な女性であること。これらは注意すべきことの第五。
次にさだ子自身に脅迫状が一回来た。しかし彼女は事件直後、検事の前に出た途端、自分が殺人犯人と疑われているのじやないかと思つてヒステリカルになつた。と同時に伊達正男の行動に対して嘘を云つた。これが第六。事件後秋川駿三自身は誰を疑つているのか少しも判らない。林田探偵に依頼したのは一体いつだかはつきり判然せぬ、これが注意すべき事実の第七、である。無論まだ注意すべき細かい点はたくさんあるがこれは今までに君に云つたことだからここには省く。
さて右の七つの事実をよく考えて見たまえ。第一の事実は、犯人が家庭外にいることを暗示、もしくは明示しているが、第二以下第七までの事実は反対に家庭内に怪しい人間がいるのを示しているではないか。いやむしろ、犯人は家庭内にありと信じた方が正しい位だ。
ところで愈々昨日の事件、第二の事件を考えて見よう。一体犯人は駿太郎を殺すつもりだつたのだろうか、佐田やす子を殺すつもりだつたのかしら」
「僕にはよく判らないが、例の草笛の一件から思うと、犯人はまず佐田やす子を、さそい出して殺し、それから(もし犯人が一人だとすればね)駿太郎をおそつたんじやないかな」
「何故佐田を狙つたろう」
「そりや判らないさ。しかし痴情とか何とかいうことがあるからね」
「それならどうして駿太郎をやつつけたろう」
「さあ、……こう考える事は出来るね。佐田やす子を殺している所を見つけられたのでこれも一思いにやつちまつたとね」
「じやその時駿太郎はどこにいたんだね」
藤枝は皮肉な目付で私を見た。
4
「君のようなそんなことを云つたつて、僕は犯人じやないのだからそう詳しいことは判らんよ」
「いや失敬失敬。君の考えが一寸ききたかつたものだからね。判つたよ。君の云わんずるテオリーは、つまりこうだろう。例の草笛か何かの相図で佐田やす子が庭に出て来る。相図をした奴は塀を乗り越えてはいりこみ東南の木立の下で話をしたがとうとう談判破裂でやす子を殺してしまつた。これは駿太郎が何かの拍子で庭に出ていて見つけてしまつたのでは今はこれまでというので駿太郎をもやつつけ、来た道から再び外へ逃げ出したとこういうわけだね」
「まあそうだな。それに現にあの塀に足跡があつた以上はね」
「これ
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