におりましたが、この二月《ふたつき》程前から近所に小さい家を一軒借りておられます」
 検事は何かちよつと考えていたが、ふと何気なく訊ねた。
「妹さんの婚約はもう余程前からですか」
「いえ、まだこの二ヶ月前ぐらいです」
「では婚約と同じ頃に伊達という人が別になつたのですね」
「はい、つまり妹が結婚致しますと伊達さんが今いる家に入るわけになるのでしよう。でも詳しいことは私よく存じませんわ」
「もう一つききますが、その婚約には御両親は無論賛成されたのでしようね」
「はい、父は大へん喜んでおりました。むしろ父の方から進めた話なのです」
「では、お母さんは?」
 私は、この時のひろ子の複雑な表情を決して見逃さなかつた。
「母も……母も婚約そのものには別に反対は申さなかつたようなのでございます。ただその条件について父とは大分意見が合わなかつたようで……」
「条件というのはどういうことです」
「なんでも財産のことなんですの。なんでも父はさだ子にかなりの財産をつけて嫁にやろうと申すのでしたが、母がそれについて反対のようでございました。でも、私そういうことよく判りませんから、なんでしたら父にきいて見て下さいましな」
「お父さんには無論ききます。……では夕食後あなたは?」
「私自分の部屋にはいつて小説を読んでおりました」
「小説つてどんな本です?」
 藤枝が妙な質問を発した。
 ひろ子は藤枝の方を見ながら、親しそうなようすで、
「ヴァン・ダインのグリーン殺人事件という本ですの」
 とかるく答えた。
「ああ Greene Murder Case ! そうですか」
 藤枝はこう云つてぷかりと煙を輪にふいた。
「あなたはずつと部屋にいましたか」と検事。
「いえ、それから八時頃ちよつと母を見舞いに座敷にまいりました。すると」
「すると?」
「そこで伊達さんが何か母と話しておりますので、すぐまた部屋に戻りました」
「伊達はずつとお母さんの所におりましたか」
「まもなくさだ子の所にまいつたようでした。今度はさだ子が母の所に行つたようでした」
「ほほう。どうしてそれがわかりました」
「私が手洗いにまいりました時、さだ子の部屋の前を通りましたの。その時、ふと妹に用があるのを思い出してノックしながら戸をあけますと、中に妹がいないで伊達さんが一人椅子に腰かけておりました。で、私はさだ子はおりませんの? と
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