べきですが――昨夜お母様は、電気を消さず、もしくは消し得ないうちに倒れたというわけですな」
 ひろ子はなんのことかちよつと判らないようだつたが、につと微笑して軽くうなずいた。
「それから……?」
「父が母を抱きおこしまして、床《とこ》の中に入れたのですが、母は全身をもがいて中々静まりません。しかし私共がとび込んだのは、よく判つたらしく、皆でよぶと、ふるえる手をスタンドの方にもつて行くのです。私はもつとはつきり事情を知ろうと思つて耳に口をつけながら、
『お母様、どうなすつたのです?』とよびますと、母は目を大きく見開いて、何か云いたそうに口を動かしました。
 私が耳を母の所に押しつけるように致しますとやつと母は物を申しました。たつた一|言《こと》!」
 検事も藤枝も、警部も急に緊張した顔つきになつてひろ子の顔を見すえた。
 秋川徳子は死の瞬間にたつた一|言《こと》[#「一言」は底本では「一言と」]、何といつたのだろう。

      12[#「12」は縦中横]

「たつた一言」
 ここまで来てひろ子はひよいと口をつぐんで検事と藤枝の顔を見くらべた。いつていいのかしら、と考えているように見える。
 しかし検事も藤枝もひどく緊張したまま何もいわないので彼女はつづけた。
「母はその時、たつた一言『さだ子に……』と申したのでございます」
 彼女はこういうと、やつと心の重荷をおろしたような表情をした。
「何? さだ子に[#「さだ子に」に傍点]? ひろ子さんそれは確かですか」
 検事がいそいでいい放つた。
「ここは大切な所ですよ。さだ子に[#「さだ子に」に傍点]といわれたのはほんとに確かですか」
「私、うそは申し上げません」
 ひろ子はきつぱりと答えた。
「いや、私の云うのはあなたがもしや聞き違えてはいないか、ということです。念の為にもう一度じゆうぶん思い出して下さい。お母さんは、さだ子[#「さだ子」に傍点]! と云つたのではありませんか」
「いえ、さだ子[#「さだ子」に傍点]とよんだのではございません。たしかに、さだ子に[#「さだ子に」に傍点]……と申しました」
 彼女の答は前にもましてきつぱりとしていた。
「そうですか。で、あなたはそのお母さんの言葉、さだ子に[#「さだ子に」に傍点]というのをきいてなんと解釈しましたか? さだ子に……あとなんと云おうとしたと思いますか」
 困惑
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