うかは証拠の問題ではない。成程、僕の云つた『断じてノンセンスではない』ということには証拠はない。けれど林田の云う『ノンセンスだ』という言葉にも何も証拠はない筈だよ。何故つて君、林田自身に自分の真の父親が判るわけがないじやないか」
藤枝はこの時妙にしんみりした口調になつて語りつづけた。
「父子、肉親! 世にこれほど大切な神秘的な重大なものでいて一方これほどたよりないものはない。君はストリンドベルクの『父』という戯曲を知つているだろう。あの父は『父親[#「父親」に傍点]には自分の子はほんとうは判らない、父親には子はないんだ』と叫んでいる。しかし子の立場から云えば、もつと情ないものじやないかな。子にはほんとうは母親すら判らないのじやないか。況んや父をやだ。君だつて、僕だつて林田だつて――否世界中の人間は、ただ父だ、母だ、と自ら名乗つてくれる人々を父と信じ母と思つている。または周囲の人々が『あれがお前の母だ、あれがお前の父だ』と云つているのを信じているばかりじやないか。『人の子には父母あり。然れどもその父母を知るよしもなし』と云いたいね。もし天一坊という人間が徳川時代にかりに存在していたとしても、だから僕はああいう悪人だつたとは思わないな。彼は人の子[#「人の子」に傍点]の代表的な不孝者だよ。彼はきつと将軍を自分の父親だと信じていたにちがいないのだ。信じていたからこそ、ああやつて名乗り出たんだろう。越前守には、それがほん物だつて偽物だつて同じことだ。どうでもよかつたのだ。……そこで林田の問題にもどる。僕は実際ああいう空想を描いた。しかし同時にそれが空想でなくほんとうであるような気がして来たんだ。林田に対してしやべつている中に、だんだん自分のいつていることが真実らしく思われて、恐ろしくなつて来た、と同時に林田英三という男が、運命という浪の中に弄ばれている気の毒な木片のように思われて来たのだ」
「でも、林田は君の意見を正しいと考え、自分がとんでもない誤りをしたからこそ自殺の決心をしたんじやないかしら」
「うん」
藤枝の顔にはちよつと暗い影が通つたが、すぐまた明るい色に変つた。
「そう考えることは恐ろしくもあり、また満足でもある。けれどもそう思うのはいやな気がすると同時に、自惚れというものではないかという気がするよ」
「だつて彼がそう信じなけりや死のうと決心するはずがないじや
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