論、堪え難い苦悩の時であつた。
 しかし、この苦悩の四日はあとから思えばおそるべき惨劇のプレリュードでしかなかつたのである。
 あのいまわしい警告の通り五月一日の夕方秋川邸でとうとう第四番目の惨劇が行われてしまつた。
 が、順序として私は、藤枝が出発してからの出来事を一通り述べておこう。ただし日記ていに記すことは正確なかわりに、読者にとつて煩わしいと信ずるから、大体のことを大づかみに述べておく。
 藤枝の予言通り、ひろ子はすでに二十六日の日大分おそくまでとめられていたらしいが、引きつづいて毎日早くから長時間に渉つて取り調べられるようになつた。
 無論、秋川駿三は全力をつくして我が子の名誉を護ろうとしたが、この大家の令嬢が連続して警察に呼ばれたことが新聞社の人に知れぬ筈はなく、諸新聞は大々的にひろ子のことを写真入りで書き立てた。
 私は毎朝新聞を見るに堪えなかつたのである。
 早川辰吉は依然として警察にいる。
 秋川駿三は、二十五日の惨劇当時、すでに健康がおもわしくなかつたのに、あの事件が更に起つたのでますます身体の工合悪くずつと臥床のままであつた。
 新しい事件といえば伊達正男の病気である。
 彼は二十六日までさんざん警察によばれて取り調べられていたのだが、高橋警部が急にひろ子に目をつけるようになつてから当分呼ばれぬようになつて、ほつと安心して気がゆるんだせいか、風邪気味で二十七日から床についてしまつた。
 私が、彼の病気を知つたのは二十七日であつた。この日、一人でひろ子のいない淋しい秋川邸に私が行くと、木沢氏に会つた。木沢氏から伊達のことをきいたのである。
 伊達が病気ときいてさだ子が大変心配して木沢氏に頼んだので、木沢氏が診てやつたらしく、大した事はないけれども、熱がある、という事だつた。
 私はひろ子が警察によばれている間、さだ子が一体どんな様子でいるか知りたかつたので、会おうと思つたのだが、彼女は毎日の新聞紙及び周囲の評判で秋川家が今社会の問題の中心となつていることを知りすつかり気をくさらしていて、伊達を見舞いに行くことすらさけているというわけで、彼女に会う事は遠慮してその足ですぐに伊達を見舞いに行つて見た。
 伊達は思つたより元気でいろいろ物語つたけれども見た所ひどくやつれている。
 私は彼が警察によばれて以来、まだゆつくりと話したことはなかつたのだが、今
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