この裏にもやつぱりひどく土がついているぜ」
 と私の顔を見たが
「まあいいさ。別に君に関係してるわけじやないんだよ。しかしちよつとこれは外のと別にしておいて貰わないと困る。……」
 彼はこう云いながら、その一足のスリッパを手にとつて歩き出したがふと立ち止つた。
「ねえ君、スリッパ一足でも持つてつちや泥棒だね」
「じや黙つてもつていかなけりやいいじやないか。ちやんと主人にそう云つたら……」
「いいや、まあよしにしよう。それ程大切な物じやないよ。しかし君僕が今これに気のついた[#「気のついた」は底本では「気のつい」]ことを断じて誰にも云つちやいかんぜ」
 彼はこういうと、せつかく今探しあてたスリッパをそこにポンと捨て別のをはいてさつさと廊下を歩き出した。
 このスリッパの一挿話はごく些細なことのようだけども、後に思い当る所が非常に多くなつて来るから読者はよく記憶しておいて頂きたい。
 座敷に来ると、中には続く不幸に悩まされ切つた秋川一家の人々が皆青い顔をして集つていた。家族以外の者では、伊達と林田がいるだけだ。
 主人はもう勇気を恢復したけれども、しかし物を云う気にはならないらしい。
 ひろ子もさだ子も、それから三番目の初江もただおどおどしているばかりだ。
「伊達君、君は今来たのかい」
 と藤枝。
「は、ここから急をきいて今しがたかけつけたばかりです」
「伊達君は僕らが来た時、一応ここを辞して自分の家に帰り、和服を制服にきかえて今来た、というわけなんだよ」
 林田が側から説明した。
「さだ子さんは、この騒ぎの時上の部屋にたしかにずつといたんだね」
 かなり無遠慮な質問を、藤枝がさすがに直接ではなく、林田に向つて発した。
 私はこの時さだ子が赤くなつて下をむいたので、ちよつと気の毒なような思いがした。
「ああ、さだ子さんは僕と話をしていた。さだ子さんの部屋でいろいろ質問をしていたんだよ」
「そうそう、君が、窓から顔を出した時、さだ子さんもつづいて顔を出したつけね。それでと、初江さんは?」
「あの初江は、女中部屋で話をしておりましたんだそうです。今日までお調べにまつたく関係がなかつたものですからわざと私があつちへ行つておいでと申しましたので」
 初江にかわつてひろ子がにつこりしながらそう云つたが更に、
「女中部屋にはその時、しまや[#「しまや」に傍点]と久や[#「久や」に傍
前へ 次へ
全283ページ中85ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
浜尾 四郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング