子は母にいわなかつたろうと思うといつたことをおぼえているだろうね。父が誰にもいうなといつたからいわなかつたといえばそれまでだがね、ちよつとふしぎじやないかな」
「しかし姉ひろ子には、はつきり話したらしいね」
「それはあの場合、どうしても話さなければならなかつた状況にあるからさ。それに或いは姉には話しても母にはいわぬという理由があつたかも知れない。これはしかし僕には大分判つて来たよ」
「そうかな」
「つまり秋川一家では昨年の夏から年の末まで主人がおどかされ通しで、それを知つていたのはひろ子一人、そうして、そのまま今年にもち越して来たという事になる。ところで昨年の末から昨日までのようすは生憎、君も知つている通り、ひろ子からきく事が出来なかつたが、察する所、段々その脅迫の度合がひどくなつて来たと考えればいいのだろう。
 つまり、ひろ子がたまりかねて僕の処にとび込んで来た、と見ればいいわけさ。
 以上が惨劇までの秋川一家のようすだが君は一体これをどう思うね」
「そうだね。まあ常識で考えて判ることは主人の過去に何か恐ろしい秘密があると思うよりほかに仕方があるまい」
「そうさ。秘密というより或いは犯罪かも知れないよ」
 彼はスリーキャッスルの煙をゆらゆらと上げながら云つた。
「さて、そこでいよいよ昨日の事件にうつるのだ。ひろ子がここに来ていたことは、たしかに犯人、少くともあのへんな手紙の発信者には判つていたと見える。彼は少くとも犯罪の予告をしている。
 徳子が頭痛がするといい出した。さだ子が自分の薬をのまそうと発議した。そこで佐田やす子に云つて薬局にいいつけて薬を作らせた。次いでやす子がこれをとりに行き、すぐ受け取つて、誰にも会わず家に戻つた。薬局を調べて見るとたしかに間違いはない、これは高橋警部が二回も調べ、医者も立ち会つたから大丈夫だろう。そこで封印のしてあるまま、さだ子がこれを保管して夜、母にのませたのだ。しかるにそれがいつのまにか毒薬に変じて母がその場で死んだということになつている、君は一体これをどう考えるね」
「どうつて、何をさ」
「われわれの常識では、アンチピリンが昇汞に急に変化するとは考えられない、甘汞か何かなら又別の考えようもあるがね。とすると誰かが、薬局の封印のまま中味をすりかえたと見なければならぬ。その手品をやつた奴がまず犯人だという事になるね。無論、たしか
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