、あの人は、秋川一家に、――殊に父親に何か危険が来はしまいか、と恐れていたのだぜ。しかもその結果思い余つて僕の処にきのう来た人だよ。しかも更に僕の処で、おかしな手紙を受け取つて青くなつて帰つて行つた人だぜ。その人が昨夜、あんな本をよんでいた、という事実はどうだろう。君は一体どう思う?」
「うん、成程そう云われりやおかしな話だね。あんな小説をよんでいる余裕はなさそうに思われる。でも僕はあの人がいいかげんなことを云つていたとは思いたくないな」
 私は知らず知らず美しいひろ子を信じる気になつていた。
「いや、僕のいうのはそういう意味ではない。出たらめだと云うのじやないよ。ほんとだとするんだ。ほんとだとするとどういうことになるだろう。今日行つたあの家のお嬢さんが、惨劇の直前に『グリーン殺人事件』をよんでいたという事実……面白いじやないか」
 私はこの時はじめて「グリーン殺人事件」の内容と、今の状態を思い合わせて、車の中でおもわずぞつとしたのである。
「小川君、僕の記憶がまちがつていないとすれば、あの小説はグリーンという一家族の者が、不思議な方法で次から次へと一人ずつ殺されて行く話だつたね。フィロ・ヴァンスという探偵が活躍するが惨劇を防ぐことが出来ない。グリーン一家の主人は死んで後家さんが残つている。これは病人で老婆だ。三人の娘と二人の息子がいる。皆はたち以上の人達だ。最初、長女のジュリアが殺され、それから末の娘のアダというのが殺されかかつてこれは助かる。四日程たつて長男のチェスターが何者かに殺される。二十日たつてから次男のレックスがまた殺されてしまう。それから終りに母とまた末の娘が毒殺されるが、娘の方はまた助かる。とこういう話だつたね。そうしてその話で、結局犯人は……」
 彼はこう云つて私をじつと見つめた。
「犯人は」
 私は思わずつづけた。
「犯人はその末の娘だつた筈だつたね」

      4

「では君は秋川一家にやはりそんな不祥事が起ると云うのかい。丁度小説にあるグリーン家のように」
 私はむきになつてきいた。
「うん、ないとは云えないね。現実が小説の真似をするということは絶対にあり得ないとは断言出来ないよ」
 藤枝はいやに落ち着いて煙草をふかしている。
「それで、結局、犯人は家庭内の、無邪気に見える娘だというわけかな」
「小川君、僕はそこまで事実が小説のまねをする
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