殺された天一坊
浜尾四郎
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)お処刑《しおき》
|:ルビの付いていない漢字とルビの付く漢字の境の記号
(例)皆|之《これ》天下の御為
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(数字は、JIS X 0213の面区点番号、底本のページと行数)
(例)※[#「※」は「日+向」、第3水準1−85−25、212−13]
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一
あれ程迄世間を騒がせた天一坊も、とうとうお処刑《しおき》となって、獄門に梟《か》けられてしまいました。あの男の体は亡びてもあの悪名はいつ迄もいつ迄も永く伝えられる事でございましょう。世にも稀な大悪人、天下を騙《だま》し取ろうとした大かたり、こんな恐ろしい名が、きっとあの男に永く永くつき纏《まと》うに違いございませぬ。
私のようなふつつか者が廻らぬ筆をとりましたのも、その事を考えましたからでございます。私からはっきりと申しますれば、あの男こそ世にも愚かな若人《わこうど》なのでございます。けれども決して大悪人ではございませんでした。
ああした不思議な運命に生みつけられた人間はおとなしく此の有難い御治世の、どこかの片隅にじッと暮して行けばよかったのでございましょう。
天一坊は此の世の中というもののほんとうの恐ろしさを知らなかったのでございます。真実の事実を有りの儘に申す事、もっとむずかしく申せば真実と信じた事をはっきりと申すことが、此の世の中でどんなに恐ろしい結果を招くかという事をあの男は存じませんでした。だからあの男は愚者でございます。世にも稀な馬鹿者でございます。
それに、自分の正しく希望してよい事を、はっきりと希望した、というのもあの男の考えが至らぬ所でございました。此の世の中は法というものばかりでは治められぬ。いいえ、時によっては法というものさえも嘘をつくという事を知らなかったのでございましょう。
あの男は気の毒な愚かな、しかし美しい若人でございました。
でも、奉行様が、あの御奉行様でなかったなら、天一坊の運命は他の道を辿《たど》ったかも知れないのでございます。あの男があの御奉行様に裁かれなければならなかったのは、取り返しのつかない悲しい事だったに相違ございません。
こう申したからと云って、私は決して御奉行様のことを悪く申し上げるのではございませぬ。御奉行様は御奉行様としてほんとに云い知れぬ程の御苦労をなさったのでございます。永く御奉行様を存じ上げて居ります私は、御奉行様がほんとうに御自分の御役目の大切な所をはっきり掴もうとなさったのは、実に天一坊の御裁きの時だった、とさえ信じたいのでございます。それ程迄に御苦労なさいましたのでございますもの、御奉行様の事を悪く考えられよう筈はございませぬ。
私は御奉行様が天一坊を御調べになっていらっしゃいました頃、はじめて奉行という御役目がどんなに大切なものかをはっきり知ったのでございます。と同時に奉行という御役目の為にどんな悲しい事をも冒さなければならないかという事を知ったわけなのでございました。
御奉行様はあの一件の為にどれ程お痩《つか》れなさった事でございましょう。皆|之《これ》天下の御為なのでございます。今思いましても有難い極みでございます。
一体、御奉行様と申す御方は、御聡明な、果断な、そうして自分を信じる事の大変に御強い御方なのでございます。此の御明智や御|偉《えら》さは、私が御奉行様を存じ上げました頃から今に至るまで少しも御変りにはなりませぬ。
けれども、奉行という御役目で御出会いになるいろいろの事件の為に、その御考えのもち方は今まで可なり御変りになったように存ぜられるのでございます。
二
初め私が御奉行様を存じ上げました頃は、只今も申し上げました通りほんとうに御利発で御聡明である上に、御自分というものを御信じになることが大層御強くいらっしゃいました。
あの頃の御奉行様の御裁きと申すものは、どれもがほんとうにてきぱきとして、胸のすくようなもの計《ばか》りでございました。そうして、御奉行様の御名は日に日に、旭のように上り、それと並んでずんずんと御出世もなされたのでございました。
「自分のする事は間違いはないのだ。自分のする事は凡て正しいのだ」
斯ういう心持が常に働いて居たためああした華やかしい御裁きがお出来になったのだと存じます。
貴方様方も御承知の事でございましょうが、一人の子供を二人の母親が争いました時に御奉行様が御執《おと》りになった御裁きなどは誰もが皆感心したものでございました。
「真実の母親なればこそ、子供が泣いた時に手を放したのだ。それにもかまわず引きずるのは真の母親ではない。偽者《いつわ
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