りもの》めが」
 斯う仰言《おっしゃ》って、さっと御座をお立ち遊ばした時のあの御姿の神々しさ、私などはほんとうに有難涙にくれたものでございました。多くの方々もあっと云って感服致したものでございます。だが、私はあの時、敗けて偽者めと仰言られた女が、大勢の人々に罵られながら立って行く有様を見て何となく気の毒に思った事でございます。
 御承知でもございましょうが、日本橋辺の或る大きな質屋が、自分の地内に大きな蔵を建てまして隣家の小さな家に全く日の当らないように致しました時、隣家から訴え出ました際のあの名高い御立派な御裁き振もやはりあの頃の事でございました。
 神田お玉が池の古金買八郎兵衛の家の糠味噌桶の中から、五十両の金子《きんす》を盗み出しました男をその振舞から即座に御見出しになりました時などは、ほんとうに江戸中の大評判となりましたものでございます。
 失礼な申し上げ方でございますが、御奉行様にとりましては、全くあの頃が一番御幸福だったのではなかったかと存ぜられます。勿論あれから益々御奉行様は御出世遊ばし、その御名は日に日に高くはなって参りましたけれども、私考えますには何と申しても、あの頃が御奉行様にとっては一番おしあわせな時代だったのでございます。何故ならば先程も申し上げました通り、御奉行様はどんな事に臨んでも少しも御困りになる事なく御立派に裁きを遊ばし、又その御自分のなさった御裁きを後から御考えになる事をも喜んでおいでになったようでございましたから。
 毎日のように行われる名裁判を毎日江戸の人々が囃し立てるのでございます。御奉行様の御耳にも其の評判がはいらぬわけはございませぬ。はいれば御奉行様だとて悪い気もちはなさらなかったに相違ございませぬ。思い出しますのは、あの頃の御奉行様の明るい愉快そうなお顔でございます。
 けれども斯うした時代はいつの間にか次の時代に移ってまいったのでございます。私の申しますのは御奉行様の御名声の事ではございませぬ。御名声はさき程も申し上げました通り旭のようにますます上る一方でございました。

          三

 私がはじめて御奉行様の晴やかなお顔に、暗い影を見い出しましたのは或る春の夕暮でございました。お役目が済みましてからお邸にお帰りになりました時、いつになく暗いお顔をなされご機嫌もよろしくございませぬ。余りに公事《くじ》が多す
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