いない。
 ところで僕は、妻の死ぬのを見てからしばらくは自分のやったことに少しも悔を感じなかった。けれどもあれから十日程たつと、またまた深い苦しみに襲われはじめたのだ。
 僕はさきにも云った通り、芸術家の直観を信じた。夫としての直観を信じた。証拠をあざわらった。けれど、妻の死後……ことにあの断末魔の妻の顔を見てから、自分の疑いがまったくの邪推ではなかったかと思い始めたのだ。
 もし蓉子がほんとに僕を愛していたなら、もし久子がまったく僕の子だったなら? 僕はどうすればよいのだ? 僕はとんでもないことをしたのだ。罪なき妻を疑っていたのだ。あの愛《いと》しい蓉子を疑っていたのだ。しかも僕は――おお僕こそ呪われてあれ! あの野獣のような兇賊に妻を惨殺さしたのだ、僕のこの両眼の前で! しかも救うことができたのに※[#感嘆符三つ、98−上−22]」
 蓉子が僕と別居しようと思っていたことは明かだった。しかしそれが不貞ということになるだろうか。僕は取り返しのつかぬことをしてしまったのだ。
 こう思ってから僕は久子と暮すのが堪えられなくなった。まず久子を妻の親にあずけて一人でくらすことにした。ところが
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