音のするのをきいてはいながらも少しも怪しいとは思わなかった。そうしてどうして蓉子に復讐してやろうか、どうして彼女を一人で永久にもちつづけられるか、を考えていたのだ。
僕が物音をほんとに聞き始めたのは、蓉子のねている室の次の間でみしみしいう音をきいた時だ。強盗だな! と近頃の強盗騒ぎにおびやかされている僕は、すぐに感じた。いきなりピストルを手にとって、僕はそーッと襖に忍びよったのだ。
ちょっとばかり襖をあけたとたん、蓉子のねている裾の方の襖がするすると開いて、覆面をした男がぬっと首をつき出した。次の瞬間には出刃庖丁らしいものをもった大の男が、ねている蓉子の裾のところに突っ立っていた。
法律がどんなことを云おうとも、深夜、人の家に刃物をもってはいってくる奴を殺すことは、正しいことだと僕は思っていた。否今でもそれは信じている。パッと襖を開くや否や、僕は賊の右側からいきなり一発を発射した。あッと云って賊がよろよろとするところを、僕は飛鳥のようにとび出して狙《ねらい》をつけながら、ピストルを賊の顔につきつけて第二発をその額《ひたい》に撃ち込んだ。美事に命中すると同時に、賊は何の抵抗もなし得ずに仆《たお》れたのだ。戦いは実に簡単だった。
この物音に蓉子も久子も目をさました。もしこの時、蓉子が、僕の奮闘を感謝してくれたなら、あんなことにならずにすんだろう。目をさました蓉子は驚いて、
『あなた、どうしたのです。』ときく。僕は仆れた賊をさしながら、
『泥棒がはいったんだ。やっつけたよ。』と答えた。すると蓉子は床の中からはい出して、賊の傍にするすると寄ってその血の出ている有様をながめたり、額に手をあてたりしていたが突然、
『あなた、殺しちゃったのね。……泥棒を。』
『そうさ、かまわないさ。』
『たいへんよ、いくら泥棒だって殺しちゃわるいわ。』
この答えは、否非難は、なんという不愉快なものだったろう! もし僕が殺さなければ、そういう貴様が今ごろ何されているか判らないじゃないか! 僕はかっとなった。蓉子の顔をにらみつけた。この瞬間、賊の死体と蓉子の顔を見くらべているうちに、僕はたちまち非常に有効に利用さるべき機会がきていることに気がついた。
よし! 今だ!
いきなり僕は蓉子にとびかかった。そうして驚いて何もする術《すべ》さえないうち、両腕に全身の力をこめて蓉子の首をしめつけた。
蓉子は叫ぼうとした。しかし声がつまっていた。けれど蓉子は自分がどうされようとしているかをはっきり知ったらしい。おお、あの時の断末魔の顔! 僕をにらんだあの眼! 呪いをあびせようとしたあの唇※[#感嘆符二つ、1−8−75] 僕の頭から消え去らぬのはそれなのだ。
蓉子はたちまち息絶えた。僕はすばやくたんすの引出しをあけたり、そこらのものをちらかしたりした。賊の手から出刃をとって側《そば》に投げすて、その死体を蓉子の死体の上にのせ、覆面をとって蓉子のくいしばった歯をおしあけてそこへつめこんだ。これらのことは電光のごとく行われた。なぜならば、ピストルの音をきいて、誰かきはしないかという考えがあったから。
こうやって万事にぬかりはないと信じてから、泥棒と叫んで表にとび出したのだが、意外にも早く、夜警の男に出会《でくわ》してしまったのだ。僕はすぐに筋道のたった話をしなければならない。十分に考え切ってなかった僕はやむを得ずわざとそこへひっくり返ったのだ。こうやっている間に頭を冷静にして、警官に対する申立てを考えはじめたのだった。
僕が申立てようとすることに、不自然なところは少しもないはずだ。立派に泥棒が押し入っている。しかも出刃庖丁をもっている。それを僕が殺すことは不思議はない。なぜならば妻が殺されているからだ。
僕はすっかり安心した。そうしてはっきりとすじ道をたてて申立てたのだった。ただたった一箇所、犯罪事件に関してはまったくの素人の僕が心配した点がある。それは賊が出刃で、妻をおどかしている最中、妻が悲鳴をあげたとすると、賊が持っている出刃を使用する方が自然じゃないか、と思われたのだ。しめ殺すとすれば出刃庖丁をほうり出さねばならないわけなのだ。そういう場合、強盗は実際どうするか。出刃を投げ出してしめにかかるものだろうかどうか、という点だった。
ところが係官は美事に僕のいうことに乗せられてしまった。恐らく判事も検事もその道にかけて玄人だから、かえって欺されたのではないかと考える。実際そういう場合があるのだろう。彼等の経験から推して、僕のいうところに不自然さがなかったためだろう。美事に通ったのだ。
ところが君には僕の嘘が判ったね、君にさっき出刃のことを聞かれた時はいやな気持だったんだ。恐らく君はあの点から疑ったのだろうが、それはやはり君が僕同様に素人だからだよ。
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