コスモスの
花と花とに雨が降る

もう、己の家は最終《をはり》だ
蝸牛よ
田も売らう、畑も売らう
篠藪に
さら、さら、さらと雨が降る

[#2字下げ]三 霜の朝[#「三 霜の朝」は中見出し]

厩《うまや》の前の葱畑に霜が真白に降つてゐた
己が顔を洗つてゐると
鵯《ひよどり》が来て
南天の実を食つてゐる

己が売つて了つた馬を
博労《ばくらう》が下駄を穿いて牽きに来た
馬は博労に牽かれて門を出ながら
悲しさうに厩の方を振り向いて見てゐた

己は門の外まで駈けて行つて見た
冷たい朝日がさしてゐる
田甫の中を
馬は首を垂れて博労に牽かれて行つた

己は茫然として縁側に腰を掛けてゐた
鵯が南天の木から
囲垣《ゐがき》の椿の木へ飛んで行つて
己の方を向いて鳴いてゐた

己の家の囲垣は樫の木を売つて了つてから
ほんたうにみそぼらしくなつて了つた
緑青の食《は》んだ銅《あかがね》の門の垂木《たるき》から
霜解の雫がじたじたと落ちてゐる

[#2字下げ]四 何処へ[#「四 何処へ」は中見出し]

己が売つて了つた田の中で
水鶏《くひな》が鳴いてゐる
己は悲しくなつて田の方を見ないで通つて来た

元《もと》己が家の畑の中に
青々と麦が育つてゐる
己は悲しくなつて畑の方を見ないで通つて来た

己が借金《かり》の為めにとられた杉山が
真黒になつて茂つてゐる
己は悲しくなつて山の方を見ないで通つて来た

己は悲しくなつてもうこの村には居られない
己は何処《どこ》へ行かう
何故己は死ねずに
この村に居るだらう

[#2字下げ]五 暗い心[#「五 暗い心」は中見出し]

己が持つてゐた亡父《おや》の形見の煙草入を
質屋の隠居が
毎日持ち歩いて吸つてゐる
己は、それを見るたび胸が一杯になつた

己が着てゐた夏|外套《インバ》を
古着屋の婆《をばばあ》が
毎日負ひ歩いて見せてゐる
己はそれを聞くたび胸が一杯になつた

己の家で飼つて置いた鶏を
己が売つてやると
すぐ縊られて喰はれてゐる
己は鶏の羽根を見て胸が一杯になつた

己はもう希望も欲もなんにも無くなつて了つた
生きたくも死にたくもなんともない
この村にさへ居なかつたら
己の心はのんびりしよう

[#2字下げ]六 風が吹く[#「六 風が吹く」は中見出し]

己の家のうしろの沼に風が吹く
実にしみじみ風が吹く
見れば見るほど
風が吹く

山の方から風が吹く
広い河原の
砂利《ざり》石に
風は鳴り鳴り吹いて来る

己が生れたこの村の
井戸の釣瓶に
風が吹く
風は鳴り鳴り吹いてゐる

[#2字下げ]七 丁爺[#「七 丁爺」は中見出し]

己は少年の頃
穀倉《こくぐら》の廂へあがつて雀の巣を毀したことを覚えてゐる
巣を毀された親雀は、日が暮れて了つても廂の上にとまつてゐたことも覚えてゐる
穀倉は田を売つて了つた同じ年に己が売つて了つた
穀倉の跡には青い蓬《よもぎ》が生えてゐる
己は庭へ出て見るたび熱い涙が胸にこみあげて来た

己は門の屋根の銅《あかがね》を剥して売らうと考へた
己は靴を穿いて古金屋《ふるがねや》のある町の方へ出掛けて行つた
途中で丁爺に遭つた
己は仕方なくて銅の話をした
『お前さまの親御に御恩は返えせねえから、せめて――お前さまのお家でも繁昌させてえと――鎮守様にも御願をたててゐるでがす――』
丁爺は悲しい顔をして己の顔を見てゐた
己もほんたうに悲しくなつた
己は古金屋へ行かずに帰つて来た

己は庭木を売らうと思つて植木屋をよんで来た
丁爺が来た
丁爺の目には涙が一杯に浮んでゐた
己は堪らなくなつて家の中に駈け込んで一人で泣いた

西風が稲の上に毎日吹いた
丁爺は己の家の庭へ来て
いつも悲しい顔で立つて眺めてゐた
己は丁爺に
古くから己の家にあつた紫檀の蓋の湯呑を与《や》つた
『お前さまの形見でがな――』
丁爺も己も一所に泣いた

百姓はうれしさうに馬を牽いて歩いてゐる
己に楽みのない収穫の秋がたうとう来た
己は朝の未《まあ》だ薄暗い内に
ズツクの鞄を抱《かか》ひて汽車に乗つた
腰の屈《かが》んだ丁爺は改札口の欄干《てすり》に伸び上り伸び上り
『お前さま、御無事で暮らして下せえ』と己に云つて泣いてゐた

[#2字下げ]八 頬白[#「八 頬白」は中見出し]

己が野へ行くたび
藪の上にとまつて鳴いてゐた
頬白よ
己はお前のことをほんたうに懐しく思ふ

己はこの村に家も屋敷もなくなつて了つた
己は東京の友達を便《たよ》つてゆく
今日は別れだ
頬白よ
お前は達者でゐて呉れよ

己は東京から
二度この村へ帰つて来られるかどうか
今のところでは解らない
帰つて来ないとしても
お前はいつまでも達者でゐて呉れよ

己が東京へ行つて
何処に住むようになるか未だ解らない
本郷に住んでも浅草に住んでも
この村のこ
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