方から風が吹く
広い河原の
砂利《ざり》石に
風は鳴り鳴り吹いて来る
己が生れたこの村の
井戸の釣瓶に
風が吹く
風は鳴り鳴り吹いてゐる
[#2字下げ]七 丁爺[#「七 丁爺」は中見出し]
己は少年の頃
穀倉《こくぐら》の廂へあがつて雀の巣を毀したことを覚えてゐる
巣を毀された親雀は、日が暮れて了つても廂の上にとまつてゐたことも覚えてゐる
穀倉は田を売つて了つた同じ年に己が売つて了つた
穀倉の跡には青い蓬《よもぎ》が生えてゐる
己は庭へ出て見るたび熱い涙が胸にこみあげて来た
己は門の屋根の銅《あかがね》を剥して売らうと考へた
己は靴を穿いて古金屋《ふるがねや》のある町の方へ出掛けて行つた
途中で丁爺に遭つた
己は仕方なくて銅の話をした
『お前さまの親御に御恩は返えせねえから、せめて――お前さまのお家でも繁昌させてえと――鎮守様にも御願をたててゐるでがす――』
丁爺は悲しい顔をして己の顔を見てゐた
己もほんたうに悲しくなつた
己は古金屋へ行かずに帰つて来た
己は庭木を売らうと思つて植木屋をよんで来た
丁爺が来た
丁爺の目には涙が一杯に浮んでゐた
己は堪らなくなつて家の中に駈け込んで一人で泣いた
西風が稲の上に毎日吹いた
丁爺は己の家の庭へ来て
いつも悲しい顔で立つて眺めてゐた
己は丁爺に
古くから己の家にあつた紫檀の蓋の湯呑を与《や》つた
『お前さまの形見でがな――』
丁爺も己も一所に泣いた
百姓はうれしさうに馬を牽いて歩いてゐる
己に楽みのない収穫の秋がたうとう来た
己は朝の未《まあ》だ薄暗い内に
ズツクの鞄を抱《かか》ひて汽車に乗つた
腰の屈《かが》んだ丁爺は改札口の欄干《てすり》に伸び上り伸び上り
『お前さま、御無事で暮らして下せえ』と己に云つて泣いてゐた
[#2字下げ]八 頬白[#「八 頬白」は中見出し]
己が野へ行くたび
藪の上にとまつて鳴いてゐた
頬白よ
己はお前のことをほんたうに懐しく思ふ
己はこの村に家も屋敷もなくなつて了つた
己は東京の友達を便《たよ》つてゆく
今日は別れだ
頬白よ
お前は達者でゐて呉れよ
己は東京から
二度この村へ帰つて来られるかどうか
今のところでは解らない
帰つて来ないとしても
お前はいつまでも達者でゐて呉れよ
己が東京へ行つて
何処に住むようになるか未だ解らない
本郷に住んでも浅草に住んでも
この村のこ
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