七八年前のことであるから、今も小奴は京都にゐるかも知れない。
そのころ無名の詩人であつた石川、今の石川の名声と思ひ合はせて考へた時、小奴はたしかに感慨深いものがあるであらう。
私も機会があつたら、もう一度小奴に会つて石川の話もしてみたいやうな気もするが単に京都とばかりでは、京都の何処《どこ》にゐるのやら知るよしもなくそのままになつてしまつた。
○
石川は人も知る如く、その一生は貧苦と戦つて来て、ちよつとの落付いた心もなく一生を終つてしまつたが、私の考へでは釧路時代が石川の一生を通じて一番呑気であつたやうに思はれる。それといふのも相手の小奴が石川の詩才に敬慕して出来るだけの真情を尽してくれたからである。かうした石川の半面を私が忌憚《きたん》なく発表することは、石川の人と作品を傷つける如く思ふ人があるかも知れないが私は決してさうとは思はない。
妻子がありながら、しかも相愛の妻がありながら、しかもその妻子までも忘れて、流れ[#「流れ」に傍点]の女と恋をすることの出来たゆとり[#「ゆとり」に傍点]のある心こそ詩人の心であつて、石川の作品が常に単純でしかも熱情ゆたかなのも、皆恋
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