垂の雲坪先生のことを話した。土地の人は、雲坪のことなら難波博士がよく知つて居て、あそこへ行けば百や二百の雲坪の絵があると教へてくれた。そして難波博士のお宅へ電話をかけてくれた。私は博士の邸へ行つてその持絵の多いのに驚いた。字や絵はいたる所にあつた。難波博士は、雲坪の日本での研究者であることをその時に知つた。数ある中で猿の絵があつたが、これは大きいもので、雲坪が戸隠山へ登つて猿を描写したのであるさうだが、これを見て、先年小川芋銭先生も
「この毛なみをどうして描いたか」
と感嘆しほめてゆかれたとのことであつた。
私の宅に掛けてある雲坪の茶掛は、その時、猿の絵の外はどれでもやるからと言はれて、私の色紙を希望され取替へていただいたものであつた。この蘭の茶掛は硝子の額に這入つてゐたのをとりおろして下されたのである。
私は、芋銭先生の色紙と、雲坪先生の茶掛とを宅に何年か掛けたままである。雲坪と云ふ人とは、逢つたことはないが、一生を乞食雲坪と言はれ乍ら、多くの乞食を「お客さん」として座敷に臥させ、自分は隅で絵を描いてこれを養つた人格と、芋銭先生が今の画家達とは違ひ、静かに河童を描いたり、田園を描いたりして、無欲なそして澄んだ心境を持つてゐることは実に尊敬すべきであると思ふ。この人格の高潔な二名人の絵をかけて居ると、その人の傍に毎日親しんで居る気がして、外に絵はいらぬと思つてゐる。
底本:「ふるさと文学館 第九巻【茨城】」ぎょうせい
1995(平成7)年3月15日初版発行
親本:「定本野口雨情 6」未来社
1986(昭和61)年
初出:「ちまき」
1937(昭和12)年6月号
入力:林 幸雄
校正:小林繁雄
2002年10月21日作成
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