枯草
野口雨情

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)童《こ》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)海|鴎《どり》

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(例)[#ページの左右中央]
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[#ページの左右中央]


  花も実もなき枯草の一篇わが親愛なる諸兄に捧ぐ


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[#1字下げ]毒も罪も[#「毒も罪も」は中見出し]

草に咲くさへ
毒の花
罪の花みな
紅からむ

羽うるはしき
例の童《こ》が
罪の矢ならば
美《よろ》しかろ

唇《くち》にふれなば
倒るべき
毒の花なら
甘からむ


[#1字下げ]村の平和[#「村の平和」は中見出し]

雲の香《か》沈む有明の
月の森よりそと出でて
麦の緑の岡に立ち
見るよ平和の村の朝

霞の中に黄金色《かねいろ》の
菜種の花は咲きにしが
葦の芽に降る春雨の
そそぐ韻《ひびき》も聞きにしが

麦の葉に吹く曙の
風は東にそよそよと
朝の香深き岡なれば
夢美しく眠るらむ

平和の村は有明の
み空に懸る雲の幕
雲の幕よりほころびて
草に甘露の霧が降る


[#1字下げ]佐渡が島[#「佐渡が島」は中見出し]

瞳を上げよ寂しくも
雲にまぎるる島山の
森にぞ秋は浮びたる

入江に満つる海の香《か》も
思ひか迷ふ金色《こんじき》の
夕日ただよふ波の上

さても静けき潮さゐに
海の日暮れて紫の
雲が流るる佐渡が島

舟ぢや女ぢや腕細《うでほそ》ぢや
それでは波が関の戸の
佐渡は四十九里沖の島


[#1字下げ]籠に飼はれし鶯に[#「籠に飼はれし鶯に」は中見出し]

桃の花咲く山寺の
籠に飼れし鶯に
仔細と申し聞《きか》すべく
したり貌《かほ》なる猫の子よ

それは去年の春の事
花は霞にこめられて
桜が匂ふ曙の
帳《とばり》薫ずる花の山

うれしき春の終日《ひねもす》を
歓び叫ぶ百鳥《ももどり》の
真珠《まだま》ころがす汝《な》が声に
ききまどふこそ楽けれ

その日ゆ永き日月《じつげつ》を
花の冠《かむり》の鳥の子と
流転の玉のなが声は
永久《とこよ》の春に響くめり

己《おの》がのぞみをみだすべく
したたか者の猫の子は
籠に飼れし鶯に
仔細と申し語るらく


[#1字下げ]鬼のお主[#「鬼のお主」は中見出し]

さつさ行きませう
あの山越えりや
淀の流《ながれ》が
花ざかり

桜は咲けど故郷《ふるさと》の
月は朧《おぼろ》に川しぶき
花は咲けどもちりちりに
淀の川瀬の水車《みづぐるま》

姉はよけれど妹に
鬼のお主《しゆう》の杢兵衛《もくべ》さん
とても暇《いとま》はくださらず
それでお主と申すより

さつさ行きませう
あの山越えて
淀は故郷
花の里


[#1字下げ]百舌子[#「百舌子」は中見出し]

手をこまぬきて逍遙《さまよひ》の
牛の牧場《まきば》に日は暮れぬ
夕《ゆふべ》の声の譜に合はず
林の中にひびきあり

松の林のあちこちに
耳傾けて佇《たたず》めば
そは鵙《もづ》の子のたはぶれて
小鳥《とり》の音を鳴く狡猾者《わるもの》よ

汝《なれ》は野の鳥山の鳥
野の朝山の夕間暮《ゆふまぐれ》
小鳥を覗《ねら》ふ蛇の子の
げに横着者《しれもの》よ鵙の子よ


[#1字下げ]花壇の春[#「花壇の春」は中見出し]

土やはらかく耕して
千草の種を培《つちか》へば
春風いまだ吹かぬ間に
芽こそ細くも萠ゑにたれ

やがて春風そよそよと
吹けば真昼の日もゆるく
夕《ゆふべ》となれば白露の
清き匂も満ち渡る

月を重ぬるはや三月
日に日に草ははぐまれて
葉ゆらぐ陰《かげ》にさまざまの
小《ちさ》き蕾も見ゆるかな

ある夜春雨草の葉の
緑いろよくそそぎしが
あくるあしたの夕《ゆふべ》より
つぼみは花と咲きにたり

花壇の土の美しく
今こそ花は開きたれ
春の日燃ゆる炎陽《かげらふ》に
花の露の香《か》ゆふべも消ゑじ


[#1字下げ]恋の娘は何誰でござる[#「恋の娘は何誰でござる」は中見出し]

お竹お十七
暮の春
泣いて別れた
事もあろ

三十九でさへ花ぢやもの
お十七ではまだ蕾
花の蕾の身であろに
なんで浮世が嫌ぢややら

ほんに去年のわづらひは
町のお医者を頼まれ申し
お医者よけれど嫁さに行かば
恋の娘と名に立てられむ

恋の娘は何誰《どなた》でござる
お釈迦さまではあるまいし
甘茶にするのは
罪ぢやもの

お竹お十七
暮の春
泣いて別れた
事もあろ


[#1字下げ]踏青[#「踏青」は中見出し]

霞の幕はたなびきて
春は土佐絵の山桜
君よ青きを踏み玉へ
いざ野に出でて踏み玉へ

春のよき日は麗《うららか》に
こがねの雲の日は燃ゑて
野にも山にも流《ながれ》にも
百千《ももち》の鳥はさけぶめり

君よ青きを踏み玉へ
いざ野に出《い》でて踏み玉へ
踏めば緑の若草に
ああ春の香《か》は深からむ


[#1字下げ]悲劇[#「悲劇」は中見出し]

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安鎮清姫日高川の絵を見てそぞろに恋の悲劇を思ふ
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夕《ゆふべ》は萌ゆる恋草の
あしたは消ゆる花の露
夜《よ》は美しき墨染の
絹紅《もみ》の裳裾《もすそ》の身ぞつらき

君よゆかしき紫の
ゆかりに結べ袖と袖
蝶よ花よと父母《ちちはは》の
膝にすがるは恥かしき

恋の悲劇は玉の緒の
総ての罪の終りなり
罪の終りはうたかたの
日高の川の涙なり

逢《あい》はせぬかよ
この川すそで
一夜《ひとよ》どまりは桜の花よ
花のやうなる旅の僧


[#1字下げ]夜より朝への海[#「夜より朝への海」は中見出し]

泡立つ海の輝くは
ああ太陽《あまつひ》の照すなり
宝の沈む夜の海は
人に想《おもひ》をいたましむ

ぬぐふが如き白銀《しろがね》の
月の光は玉を綴り
繊雲《ほそくも》遠くあかねさして
平和に満つる海の朝空

瑠璃なす蜜《みつ》の香《か》に酔うごと
琥珀の盃《はい》を嘴《くち》にふくみて
はしらの宮のみ使《つかひ》の
鴎は雲にまぎれ飛ぶ


[#1字下げ]それはお無理と申すもの[#「それはお無理と申すもの」は中見出し]

閨《ねや》の襖に紫の
ゆかりの幕を垂れこめて
如何にお嘆き遊ばすも
それはお無理と申すもの

夜はまばゆき
金屏《きんべい》に
姫はよき衣《きぬ》
かつげども

谷の峡《はざま》の
うむれ木の
世にふるものよ
いたはしき

眉の薄きは濃くならず
鼻の低きは生れつき
如何にお嘆き遊ばすも
医者に薬はあらざらむ

お色黒くば鴨川の
水にしばらく召し給へ
唇《くち》には京の下《しも》町の
臙脂《えんじ》ほどよくさし給へ

あはれゆかしきみ住ひの
玉のうてなの閨の戸に
如何にお嘆き遊ばすも
それはお無理と申すもの


[#1字下げ]あはて告げぬ[#「あはて告げぬ」は中見出し]

雛祭りする九歳《ここのつ》の
お竹は又も思ひけり
桃の花 桃の花
雛さまと何語る

去年《こぞ》も今年も
一昨年《をととし》も
物めしまさぬ
優しさよ

日は永くして雛様の
欠伸《あくび》に暮るる三ヶ日
夜《よ》は短くて桃の花
ねむた顔なる春の宵

一夜《あるよ》雛壇《ひなだな》灯は消えて
幼きものよと子鼠の
幾ともがらは忍び来ぬ
されども家人《ひと》は知らでありき

雛《ひえ》さまの雛さまの
鼻かぢられて哀れなり
緋桃の花は散りけりと
次の朝《ひ》下婢《はしため》あはて告げぬ


[#1字下げ]めくら魚[#「めくら魚」は中見出し]

日の暮方に
空見れば
いつも敢果《はか》ない
事ばかり

すすき尾花は
穂に咲けど
秋の花ゆゑ
淋しかろ

恋はすれども
恋わすれても
めくら魚で
阿漕《あこぎ》が浦よ


[#1字下げ]乙女のひとり[#「乙女のひとり」は中見出し]

朝見れば東の海に
紋波《あやなみ》の低きはあれど
浮雲の白きも見えず

海|鴎《どり》は沖に飛べども
わたつみの彼方《かなた》の岸に
羊《しつち》飼ふ童もありや

あかつきの東の浜に
朝空のみ神とばかり
さまよへる乙女のひとり

うら若き身にありながら
黒髪は裳裾《もすそ》にかかれ
徒《いたづら》に嘆くは止《や》めよ

今朝《けさ》見れば東の海の
天地《あめつち》に雲はなけれど
又しても乙女はひとり
さまよへるかな


[#1字下げ]十二橋[#「十二橋」は中見出し]

ほんに潮来《いたこ》へ
おじやるなら
佐原|来栖《いけす》に
お茶屋がござろ

姉さ召しませ
のう姉さ
花の乙女《かむろ》が後朝《きぬぎぬ》の
涙の雨が降るぞえの

一夜《いちよ》かりねの
手枕に
かりの妻ぢやと唄はれて
明日は何方《いづく》の何処ぢややら

皐月《さつき》照れ照れ
菖蒲《あやめ》も植ゑよ
お女郎《じよろ》見やんせ十六島は
雨の降るのに花が咲く


[#1字下げ]闇の韻[#「闇の韻」は中見出し]

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月なき秋の夜なぞ茄子枯れたる畑中に鳴く虫あり世人俗に蚯蚓の鳴くなりと言ふ
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[#ここで字下げ終わり]

あはれ蚯蚓《みみづ》とあざけれど
背戸に人待つ少女子《をとめご》が
首うなだれて闇の夜に
聞くよ淋しき汝《なれ》が唄

見よ閨《ねや》の戸の夕間ぐれ
あふぐになれし星の海
されど心の香《か》に酔うて
よしなきことを思ふかな

闇の潮《うしほ》に沈みたる
静夜《しづよ》の夢はさまさずも
夜鳴く虫のかなしさに
忘れがたきがあればなり

春の名残の
  時の上に
紅き花こそ
  惜みたれ
夏の流れの
  行く水に
真白き花も
  咲きにたり

翼あらむか空ゆくに
瞳あらむか物見むに
いづれ羽根なき翼なき
なれは盲目《めしひ》の土の精

夕《ゆふべ》さびしき草の戸の
雲にこぼるる星影を
市《いち》に行くべき虫ならば
さこそ思《おもひ》も清からじ

嗚呼《ああ》[#「嗚呼《ああ》」は底本では「鳴呼《ああ》」]有情《うぜう》の萬象《もの》の子よ
慰藉《なぐさ》に唄ふひとふしも
げに東雲《しののめ》の近づけば
塵と埃《あくた》に甘眠《うまい》せむ

朝は静けき太陽《あまつひ》の
繊雲《ほそくも》とほく照しつつ
白露しげき草の葉に
あはれなが世の幸《さち》ありや

なれの姿は醜くも
ものの悲しき音《ね》にふれて
細く妙なる美《よ》きこゑを
聞けば胸こそすみ渡れ

人の生活《いのち》の戦《たたかひ》も
あはれ声なき夜の陣
いのりに眠るなが唄の
曲《ふし》に律ある闇の韻


[#1字下げ]それは去年の昨日まで[#「それは去年の昨日まで」は中見出し]

[#ここから3字下げ]
[#ここから20字詰め]
三十七年暮の二十七日、吾不運を嘆きつつ日没の海辺をさまよひて、同じおもひにありと聞く古河の思水子に寄す
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風は颪《おろし》で
寒からむ
幾夜の夢や
時雨《しぐ》るらむ

それは去年の昨日《きのふ》まで
俗に落ちなば死すべしと
鎗《やり》は錆ても武士《さむらひ》の
鷹になるべう志

彼《か》の青空を眺めては
空かけ渡る羽なくも
必ず鷹になる身ぞと
楽《たのし》みたりし甲斐なさよ

詩人は銭《ぜに》を惜むなと
それやこれやに呵《しか》られぬ
されどうがらが生活《なりはひ》を
思はぬ訳にはなり申さず

お銭《あし》と申すしれものに
百のしもどを打《たた》かれて
ああ徒《いたづら》に手をもがき
足をもがいて詩《うた》ならず

弦《つる》にはなれし弓の矢の
月日立つのは早けれど
終《をはり》はすべて
涙なり



底本:「定本 野口雨情 第一巻」未来社
   1985(昭和60)年11月20日第1版第1刷発行
底本の親本:「枯草」高木知新堂
   1905(明治38)年3月14日刊
初出:村の平和「労働世界」
   1902(明治35)年7月3日
   鬼のお主「常総新聞」
   1905(明治38)年1月1日
   花壇の春「暗潮」
   1903(明治36)年9月
※底
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