平安朝時代の漢文學
内藤湖南
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)都久夫須麻《ツクブスマノ》
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)温庭※[#「竹かんむり/均」、第3水準1−89−63]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)だん/″\
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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平安朝の前半期には專ら漢文學が行はれ、後半期には國文學が興つたが、此の國文學が興つたのは漢文學の刺激に依るのである。大體日本の文化は支那文化の刺激によつて發達したのであるが、然し文化を生育すべき素質は初めから日本にあつたので、此の點は他の支那に近い邦々と異つて居る。即ち朝鮮には我が假名の如き諺文があるが、少數の歌謠の外、諺文文學といふものが遂に發達しなかつた。これを公に用ふる事になつたのは日清戰爭後の事であつて、かゝる事は古來數千年間無い所であつた。其の他の國は申すに及ばない。只日本のみは日本文學を有して居たのであるが、然し支那よりは後に發達
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