は詔勅誥令其他の詩文を作るために、六朝、隋書で盛んに利用せられたものであるが、之れは日本に於ても同じであつた。唐代には梁代に出來た華林遍略(六百二十卷)北齊に出來た修文殿御覽(三百六十卷)及び唐になつてから出來た藝文類聚、初學記、北堂書鈔、白氏六帖等の書があり、日本の學者も此等を引用したが、祕府略はかゝるものを集めて作つたものである。其の後、宋の太宗の時、大平御覽(一千卷)が出來て大いに珍重せられたが、此れは矢張り唐代の類書を集めて作つたもので、其の卷數も體裁も祕府略と全く同樣であつて、實は此の樣なものならば百五十年も以前に日本人が作つて居るのである。今祕府略の中では百穀、錦繍の部が殘つて居るが、大平御覽と比較して祕府略の方が詳しい――同じ卷數で以て而も詳しい處を見ても、當時編纂の大仕掛であつたことが分るので、吾々日本人は甚だ愉快に感ずるのである。
 又文選集註と云ふ書物が有る。文選は平安朝に行はれたものであるが、其の註を集めたものが集註であつて、集註は初め百二十卷としたものであらう。一般には流布せず、永く武州金澤の稱名寺にあつた。文選には唐に至るまでに既に多くの註釋が出來て居たが、後
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