明したのである。而して此の不明確な古音が、だん/″\明確になつたのは、五十音圖の如き者が出來た爲であつて、近畿其他の地方は其整理された五音によつて精確に發音するやうになつたが、東北地方などは依然として古音を保存して居つたのである。それ故奧州音は取りも直さず、今以て近畿地方人が古代に發した音をそのまゝ發して居る者と思へば間違ひないのである。處で此の五十音は果して梵語學から直接に國語を整理する爲に作られたか、或は其間に支那の音韻學の仲介を經て影響を來したかといふに、それは後者の方が事實であると考へられる。日本で古代梵語學の大家たる安然の悉曇藏などでも、いづれも梵語學の説明として支那の反切即ち九弄音紐といふやうなことを借用して居る。反音鈔などいふ書には此の關係を十分にあらはして居る。多分唐代に留學した日本僧が、彼邦で梵語學によつて支那の反切を整理し、三十六字母、開口、合口等のやり方、即ち後の韻鏡學の基礎が定められた状態を呑み込んで來て、其法を日本語學に適用したのであらう。して見れば正確な國語學の基礎たる五十音はやはり漢文學の影響に因て出來たものと言つて差支ないと思ふ。
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