安彦の叛、四道將軍の出征、狹穗彦の亂などに當る者とせんには、其間五六十年にして、長短頗る當を得る者の如し。是れ我が古史の紀年を定むるに於て亦甚だ有益なる資料たるべきなり。
今一事の注意すべきは、余が考定せる倭國の使人が田道間守以外の諸人も、皆但馬、出雲より出でし人物たることなり。崇神紀六十年に見えたる出雲大神宮の神寶を貢上せしめたること、垂仁紀八十八年に見えたる但馬出石の神寶を獻ぜしめたることを併せ考ふるに、神寶の貢獻は實に其國の服屬を表する者なるべく、此の二國の服屬は、始めて大和朝廷の海外交通を容易ならしめて、更に任那の服屬を導きたる者なるべし。魏志の記事は任那服屬の後なるべきこと、已に説く所の如くなるを以て、其時外交の使命を奉ぜし者が但馬、出雲二國の名族たりしことは、事情に於て極めて當然なりと謂ふべし。
若し倭人傳に見えたる倭國の習俗其他をも旁證し、又諸韓國との關係にも及ばんには、更に闡發を要する者あるべきも、此の考證已に長きに過ぎたるを以て、今皆之を略し、別に補考を草するの機を待たんとす。
[#地から1字上げ](以上明治四十三年七月「藝文」第壹年第四號)
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