種なり。
二、景初三年六月より末尾に至るは、是れ當時官府の記録に據れる者、是れ又一種なり。
三、倭使の始めて帶方郡に詣りし時、之に本國の事情を訊問し、加ふるに漢書の如き前代の記録を參考して作れる記事、是を第三種とす。余は傳中、左の各節を以て此の性質の者と斷定す。
 次有[#二]斯馬國[#一]より與[#二]※[#「にんべん+瞻−目」、第3水準1−14−44]耳朱崖[#一]同に至る一節。(い)
 其行來渡[#レ]海詣[#二]中國[#一]より持衰不[#レ]謹に至る一節。(ろ)
 其會同坐起より人性嗜[#レ]酒に至る一節。(は)
 參問倭地より五千餘里に至る一節。(に)
四、魏使が倭國に至り親しく見聞せる所を記せる者、是を第四種とす。即ち左の各節なり。
 從[#レ]郡至[#レ]倭より旁國遠絶、不[#レ]可[#レ]得[#レ]詳に至る一節。(イ)
 倭地温暖より以如[#二]練沐[#一]に至る一節。(ロ)
 出[#二]眞珠青玉[#一]より視[#二]火※[#「土+斥」、第3水準1−15−41][#一]占[#レ]兆に至る一節。(ハ)
 見[#二]大人所[#一レ]敬より船行一年可[#レ]至に至る一節。(ニ
前へ 次へ
全74ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
内藤 湖南 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング