同じことなり[#ここから割り注]中略[#ここで割り注終わり]さて耳てふ尊稱の意は、美は比に通ひて、かの産靈《ムスビ》などの靈《ヒ》なるを靈々《ヒヒ》と重ねたるものなり、開化天皇の大御名|大毘々《オホヒヾノ》命と申す是なり、此を書紀には太日々《フトヒヾノ》尊とありて、垂仁卷に太耳《フトミミ》と云ふ人[#(ノ)]名もあるを以て日々《ヒヾ》と耳と同じきことを知るべし、又明[#(ノ)]宮[#(ノ)]段なる前津見《マヘツミ》てふ人名を、書紀には前津耳《マヘツミヽ》とある(又水垣宮[#(ノ)]段に、陶津耳《スヱツミヽ》とあるを、舊事記には大陶祇《オホスヱツミ》と云ふも、據あるなるべし)を以て耳《ミヽ》と云は美《ミ》を二つ重ねたるにて、見と云は、其を一つ略けるものなることを知べし云々とあり。此にて彌彌の義は明らかなり。彌彌那利は我が古書に其語見えず。景行紀十二年に御木川上に居れる賊を耳垂《ミヽタリ》といふこと見えたり。音やゝ近し。但し紀の文にては鼻垂《ハナタリ》といへる賊と相并べて出でたれば、地方君長の尊稱とも見えざれども、傳説の混入多き古記には、彌彌那利の尊稱を種として、耳垂、鼻垂の説話を生出さず
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