し、楊守敬が三國郡縣表補正に其の誤脱なることを辯ぜり。今の福州府治なり。
    以上 地名を考證し畢る。
[#地から1字上げ](以上明治四十三年六月「藝文」第壹年第參號)
[#ここで字下げ終わり]
 次に官名に就て述ぶべし。但し其中、卑狗のヒコ即ち彦たり、卑奴母離のヒナモリ即ち夷守たるが如きは、辯證を費すを須ひざれば、主として、其餘從來未だ解釋せられざりし者に就て試みんとす。
[#ここから改行天付き、折り返して2字下げ]
爾支  隋書、北史に擧げたる我國の官名に、伊尼翼あり。黒川氏は翼を冀の訛りなりとして、之をイネキと訓み、即ち稻置なりといへり。此の爾支即ちニキも同語の轉訛と見るべし。
泄謨觚、柄渠觚、※[#「凹/儿」、第3水準1−14−49]馬觚  泄謨觚も※[#「凹/儿」、第3水準1−14−49]馬觚もみなシマコ、即ち島子と訓むべきに似たり。但し我が上古にかゝる官名、もしくは尊號ありといふことを聞かず。柄渠觚はヒココ即ち彦子などゝや訓むべき。されど此も亦古書に證例なければ、確かには定めがたし。
多模  タマ即ち玉、魂と訓むべし。櫛※[#「瓦+髟−彡」、第4水準2−81−14]玉命
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